口碑によれば、大己貴神、国土平定のため高志に来たり給う時、この円田沖に船を入れ龍ケ峰に船を繋ぎ上り、この峰に一祠を立てたのが創祀という。 |
由緒 御祭神 国常立尊、大己貴神、誉田別尊、大山咋神 第40代天武天皇(676年)己末8月15日、勧請(社紀文書)。口碑によれば、神社の在りし所龍ケ峰という。大己貴神、国土平定のため高志に来たり給う時、この円田沖に船を入れ龍ケ峰に船を繋ぎ上り、この峰に一祠を立つこれが神社の初めなり。 天武天皇13年(686年)己酉、地方巡察便、中臣朝臣清麿、当社に賽し、神威あらたかと神殿を建立す。この後、巡察便来たる度、参拝し幣帛を献ずるを例とせり。 桓武天皇延歴16年(794年)、坂上田村麿、奥羽征討の際宿陣し、戦勝を祈願し、祈願文、矢二筋を奉納せり。(記録、献納品は天明火災に焼失)。 醍醐天皇延喜発亥3年(903年)、圓田神社と改称す。延喜神明帳に記載あり。(当社所蔵)。 天文16年(1547年)、春日山城主長尾景虎、兄弟争の際、当社に参拝し戦勝祈願文を奉納、後、長尾晴景を亡ぼし時、謝文、宝剣、大太刀を奉納す。(天明火災に焼失)その大太刀を模して当社に納めあり。 天明元年(1786年)7月25日、火災。社殿、社庫焼失せり。 天明5年(1786年)4月、社殿建立。 嘉永8年(1855年)5月、現社殿建立。 昭和19年(1944年)、幣殿建立。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |