青海駅近く青海町東町公民館の脇に鎮座する |
青海神社旧址 式内社 青海神社旧址 4世紀の初め、大和国造大和直族の分族である青海首一族が大和の地よりこの地奴奈川国へ進出、入植し精神的よりどころとして、神々を祭ったのが青海神社である。青海の地名の因るところでもある。人々は耕地を求め開拓し、住居を定めた。古代社地も人々の移動により、蛇谷〜大沢のテラデラ〜石垣の地を経て、現東町地区公民館の地へ移った。 平安時代初期集成(延長5年(927))の延喜式に採録された式内社として、当時から由緒ある古社である。 天和検地帳(天和2年(1682))に「拾二間×拾間(4畝歩地ニ宮有リ」と記され昔の姿がしのばれる。 寛保1年8月(1742)新社殿を造営、文政4年9月8日(1821)現在地の菅峰へ遷宮した。その経緯を青海村村議(明治13年編纂)は「・・・・元標ヨリ 方直径一百二十間ニシテ村□□端ニ在リ人烟斬ク繁殖シ社殿ニ近接ス因テ汚穢□事ヲ畏レ今ノ地ヘ社殿ヲ新築シタ」と記す。棟梁は文豪相馬御風の祖、相馬重良左衛門昌信である。 爾来、旧社殿は「古宮社」と称され、鎮守の森として親しまれ、敬われてきた。 慶応3年8月14日(1867)の大火で焼失したが、祖先が残した共同社会の伝統、歴史、慣習を継承すべく礎の所に石祠を建立した。 昭和31年12就く9日(1956)石祠を館内正面に鎮座して、当町最初の公民館が建築されたが、昭和59年3月10日(1984)公民館再築により現在地に遷座した。 ここに郷土史の一端を記し、青海神社旧社として長く保存するものである。 昭和59年3月20日 社頭掲示板 |