往古頚城郡福島村直江津に在り、江川辺り則ち江川と新川と合う地に鎮座していた。 『神社明細帳』に「創立年月日不詳候ヘトモ、初メ當郡早苗村福島二鎭座延喜式内江野神社ト称シ候旨口碑二傳フ」とある。 |
由緒 直江八幡宮御由緒碑 式内社江野神社は、往古頚城郡福島村直江津に在り、按ずるに、延喜式内社にして、江川辺り則ち江川と新川と合う地に鎮座し是れなり。祭神は誉田別命外六神にして、康年中八幡太郎義家勅を奉じて阿部貞任等を征討す。すなわち反乱を平らげ八幡宮の社殿を新たに建て、兜の中に所蔵する八幡宮の像を納め、以て神馬をも合わせ祠る。文治中源義経奥州下りの途次着する鎧を八幡宮に納め、又兜を境内の池に投じ以て武運を祈る、従って国人曰く八幡宮の兜池という。 天正6年春日山の役により、廟宇兵燹にあい所蔵する什宝概ね烏有に帰し、僅かに存する有るは義経が納めし守護神の像及び義経奉納の鎧のみ。慶長中上杉景勝深く帰依して社殿を修築し、歳時に幣帛を捧げて武門の長久を祈る。 堀左衛門督秀治も之を崇敬し、同17年松平忠輝高田城を築き社地を納むるにおよび、以て藩中の総社と為す。寛永3年の後松平中将光長領内の守護総社となし、又城内の矢場を撰びて直江八幡宮を分霊して遷祭し、国人矢場宮と稱するは是なり。享和8年輪王宮親しく書して江野神社の號を此の宮に納める。余、人の請を容れ其の梗概を書しは斯の如し。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |