五十君神社
いぎみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】五十君神社 越後国 頚城郡鎮座

   【現社名】五十君神社
   【住所】新潟県上越市三和区所山田550
       北緯37度7分21秒、東経138度22分47秒
   【祭神】五十日足彦命
       『神名帳考証』伊弉諾尊・伊弉冊尊
       『越後國式社考』級長津彦・級長戸辺命
       『北越風土記節解』五十猛命・太種大明神
       『特選神名牒』物部印岐美連
       『神社明細帳』五十日帯子命

   【例祭】8月8日 夏季大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】景行天皇御宇に一社を建立五十王神社と称した
       大宝3年(703)3月3日勧請
       神亀3年(726)勅命により五十君神社と改称
       永緑4年(1561)関白近衛前嗣参拝
       永禄7年6月3日上杉謙信五七貫五〇四文を寄進
       天正8年(1580〉4月3日上杉景勝社境の制札
       慶長15年(1610)松平忠輝社地を安堵
       明治6年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】大古五十君山(地元の人は「イズミヤマ」と呼称)に鎭座していた
        その後現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「五十公神社」と称していた
   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿

   【境内社】

祭神五十日帯日子命は大賀・不尽の二臣を従えて越後国に下り、池溝開発にあたつたが、頸域郡高志八岐村(今日の所山田)で崩御された。そこで大賀・不尽の二臣はこの地にとどまり、命の神霊を奉祀した。


新潟県指定文化財

「金銅虚空蔵菩薩懸仏」
五十君神社蔵
昭和43年3月指定
五十君神社は平安時代初頭延喜式に載っている頸城で最も古い十三社の一つである。この神社に神仏習合時代の遺品「金銅虚空蔵菩薩」鎌倉時代が残されていた。これが五十君神社本地仏懸仏である。懸仏は蓮華座の上に座し本体と座が一鋳となっている。
全面に鍍金が施され鏡板に取り付けられガラス玉の瓔珞や蓮華がよく保存されている。鎌倉時代の美しい典型的な懸仏として県下でも代表的なものとされている。

社頭掲示板



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