青柳集落の西方、坊ケ池の縁に石祠があり、水島磯部神社と刻まれた石が納められている。 当社を式内青海神社に比定する説もある。 |
水島磯部神社 由緒等不詳。『越後頸城郡誌稿』に「武士郷青柳村坊ヶ池ノ邊ニ鎮座アリ、其礎石後世ニ遺セリ、故ニ此所ト云説アリ(略)然シテ青柳池ハ山水幽邃ニシテ、泉清ク山秀テ池中ニ小島アリテ、當郡ノ名区ナリト雖トモ、其池長四丁餘、横二丁餘ノ小池ニシテ、山間・湖水・水海ナト云如キ磯邊等アル池ニアラス、故ニ水嶋磯部ナト事々シキ名稱ヲ付スヘキ名所ニアラス」とある如く、式内水嶋礒部神社に比定することには疑義がある。 式内社調査報告 |
青柳神社 青柳神社(あおやなぎじんじゃ)は,旧中頸城郡清里村の坊ケ池の湖畔に鎮座する。 今,辨才天社(弁天さん)と青柳社が合祀されている。 「神社明細帳」(明治16年)に「中頸城郡青柳村字坊ケ池 無格社・弁才天社」「中頸城郡青柳村字池ノ端 無格社・青柳社」とある。 弁才天社の祭神は市杵島姫命で,青柳社の祭神は不詳である。 坊ケ池は古いため池で,龍神伝説も残る。初め,現在地より低い場所に水神大神が祭られていた。 この「弁天さん」とは別に,池の西側の月吉(つきよし)と称する台地には「青海社」と刻された小祠があった。青海社には諏訪社が合祀されているともいい,「青柳社」と呼ばれていた。(この青柳社が式内社の「水嶋礒部神社」として報告されたこともあった。なお,当社の北東2キロメートル,梨平地区にも式内社の論社である水嶋磯部神社が鎮座する。) その後,池の水位の上昇により「弁天さん」を現在地に遷すことになったが,月吉台地の青柳社も合祀された。これが現在の青柳神社である。 なお,公文書上では,明治40年(1907)12月に,青柳社と弁才天社は山麓の青柳集落内に鎮座する白山社に合祀されたことになっている。 新潟県神社探訪 |