八幡宮
はちまんぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿比多神社 越後国 頚城郡鎮座

   【現社名】八幡宮
   【住所】新潟県上越市西本町3丁目5番15号
       北緯37度10分21秒、東経138度14分14秒
   【祭神】応神天皇 (配祀)沼河比売 建御名方神
   【例祭】9月14-15日 秋季大祭
   【社格】越後国総社
   【由緒】養老4(720)年宇佐八幡宮を勧請
       貞観12(870)年石清水八幡宮を勧請
       御館の乱(1579)で焼失
       慶長16年9月に社領百石
       寛永11(1634)年造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所・手水舎

   【境内社】神明宮・諏訪神社

府中八幡宮と称し、広い境内を有し、過去には堀がめぐらされていた。越後府中の真北に位置し、現在より大きな面積を占めていた。
鎌倉時代に鶴岡八幡宮を勧請し、沼河姫命と建御名方命の二神を合わせ祀って、府中石清水八幡宮と称し、一国一社の八幡宮(国府八幡宮)となった。


由緒

府中八幡宮略記
祭神
誉多別尊(応神天皇) 相殿祭神 沼河姫命 建御名方命
昔は阿比多館といって高志総社で、今の位置は越後国府の正北の丘になるのであります。鎌倉時代に鶴岡宇佐八幡神を移し迎え、沼河姫命と建御名方命の二神を合わせ祀って、府中石清水八幡宮と称し、一国一社の八幡宮であります。上杉氏の敬仰が特に厚く、謙信公は直筆の神額並びに下馬札制札などを奉納されました。江戸幕府になってからも崇信の念がますます高く、慶長16年9月に社領百石と定め、将軍墨附や閣老連名の添書を交附して神馬一頭の寄進をされています。歴代の高田城主の帰依も一段と深く、社殿を造営されたり土地を寄進されたりしております。明治戊辰の年に、北陸奥羽を鎮撫された際に勅使を以て幤帛を供進されております。貞観12年(793年)に石清水八幡宮分霊をお迎えして越後八幡と称してから、国分寺と共に由緒深い神社として広く世人に知られてきたのであります。
社殿
本殿 神明造萱葺12坪    慶応2年改築
幣殿 平屋造萱葺15坪    慶応2年改築
拝殿 破風造萱葺27坪5合 寛永9年改築 松平越後守光長寄進
境内神社
神明宮 石祠、祭神 天照皇大神・豊受姫命
諏訪社 石祠、祭神 建御名方命
鳥居 石造三基 内一基 正保2年8月小栗茂吉寄進
灯篭 石造三対 天明7年・同8年・文政2年各建設
狛犬 石造二対 内一対(鎌倉から室町)頗有古色
石碑 一基 創設年月日不明 社伝を刻す 寛政9年再建
境内
官有地第一種六反十二歩古藤老松池水を繞りて幽邃閑雅春秋の眺め佳なり
宝物什器及び文書
掛額 八幡宮 有栖川宮熾仁親王御筆
掛額 八幡宮 弘法大師筆(木彫)総社
総社 掛額 八幡 上杉謙信公 諏訪 筆、
鰐口 直径一尺五寸 文安三年道円寄進
長太刀 助宗作 元和9年松平伊予守忠昌寄進
社領墨附 天文24年上杉景虎(謙信公)署名
社領墨附 天正8年上杉景勝署名
朱印状 徳川家綱将軍より家茂将軍に至る九代現存、
制札 上杉、諏訪、松平、戸田、榊原諸家五枚現存
上越市西本町三 府中八幡宮社務所

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



八幡宮

越後総社府中八幡宮と市民憩いの場八幡宮公園
この南参道を進んでください。
正面に見える神社が、古い歴史を持ち、由緒ある府中八幡宮社殿です。広い境内を有し、過去には堀がめぐらされ、多くの松が生えていました。かつて、越後府中のまちの真北に位置し、現在より大きな面積を占めていました。
境内の約半分は、市の「八幡宮公園」として整備され、市と町内会で共同管理を行っています。まちなかの水と緑豊かな公園として、市民のいこいの場、学習の場、交流の場として愛されています。

府中八幡宮と文化財
府中八幡宮は、社伝によれば
「養老4(720)年に宇佐八幡宮を勧請(神の分霊を迎えること)し、その後、貞観12(870)年に石清水八幡宮を勧請して、越後府中八幡宮と称した」とあります。
代々の越後守護や守護代は、武人の守護神とされる八幡宮を崇拝し、保護しました。ことに、上杉謙信の父長尾為景は、春日山城の鬼門守護の霊社として、社領五百石を寄進したのをはじめ、徳川の歴代将軍も、社領百石を寄進し、朱印状を出しています。その後、社殿は、御館の乱(1579)で焼失しました。現在の社殿は、寛永11(1634)年に高田城主の松平光長が復興したものです。
その後、何回もの修復を重ね、現在に至っています。主な文化財は、上越市立総合博物館に寄託しています。

●石碑碑文【西、北、東面】
大己貴神沼河姫乎婚牟止須真婦乃阿比多御館乎高志総社止為介里故迩氷高姫天皇之命乎以テ養老四年九月宇佐神社ヲ写之放生会有利〔清和天皇貞観十二年石清水乎請参利呈中津社迩坐須夫故〕復越府八幅止称奉天義家奥乎平介久■迩城ヲ築幾御館城止号世利其臣祝詞乃義乎兼知志痘今八幡乎津磨神止云妹脊乃縁乎祈理誓気由比止氏苧索結比掛利其波大己貴神沼河姫迩云云歌比字岐由比為氏宇那賀気理鎮座須縁止埃。

社頭掲示板



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