阿比多神社
あひたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿比多神社 越後国 頚城郡鎮座

   【現社名】阿比多神社
   【住所】新潟県上越市長浜904
       北緯37度9分36秒、東経138度10分0秒
   【祭神】少名彦命 (配祀)菅原道真 十二神
       『神名帳考証』『越後野志』大彦命
       『阿比多神社略縁記』奴奈川姫命 少彦名命 建御名方命

   【例祭】4月25日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】持統天皇8年(694)3月案下の幣帛
       永承5年(1050)源頼義奥州征伐の際、戦勝を析願
       永仁5年(1197)藤原爲兼佐渡へ左遷の折参拝
       承久三年(1221)順徳上皇佐渡へ御遷幸の際参拝
       天文年間(1532−55)兵火焼失
       慶長4年(1599)春日山城主堀秀治神領五〇石寄進
       慶長16年(1611)福島城主松平忠輝旧縁により神領寄進
       天和3年(1683)閏5月徳川幕府除地三石五升四合を附與
       天保年間(1830)火災で社殿・古文書焼失
       明治6年村社
       大正8年9月23日郷社
       大正8年11月1日神饌幣帛料供進指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】社殿は古くは南西、高志山にあり
        その後現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「長浜天神」と称していた
   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿・神樂殿・神庫・社務所

   【境内社】秋葉神社

海岸近くに聳えたつ山の中腹に鎮座する。国道に面して鳥居あり。石段をかなり登ると社殿に至る。
手間天神と称したことから、菅原道真をまつる菅原天神と混同された。天神信仰の一般化によりおこつたものであろう。


阿比多神社

阿比多神社は延喜式内社にして、祭神は少彦名命である。社殿は古くは南西、高志山にあり、後に現在地に移されたのものである。この地は東に面した高所にして下は海洋の煙波を越えて佐渡を遠望することができる。伝えられるところ、順徳上皇佐渡にご遷幸の折り、越の長浜は名所であるとして、神輿を駐めて眺望され、当社にご参詣された。その折り、北野天神の御像を当社に納められた。以来、菅公を合祀することとなった。
天満天神は古来より学問の神として参詣者も多く、崇敬を集める。1100年祭にあたり菅公の徳をしのび、記念としてここに梅林を造成したものである。

社頭掲示板



阿比多神社

■上越市長浜に鎮座する阿比多神社の御祭神は、少名彦名命を主祭神とし、菅原道真公、建御名方命、迦具土命、大山祗命の4柱を配神としてお祀りしている。
 創立年代は不詳だが、社伝には国家守護の神として朝廷から崇敬を受け、持統天皇8年(694)の3月に案下の幣帛を賜ったとある。『延喜式』神名帳に記載され頸城郡13座の1座である阿比多神社は、国史大系本などでは「アヒタ」と訓を付けられているが、今日では「アビタ」神社と呼称している。
かつては、太刀や肖像、鞍馬、和歌など多くの宝物が奉納されていたが、2度に亘る大火によりその多くを焼失。現在所蔵されている宝物は、醍醐天皇の御作で承元3年(1209)に順徳上皇が奉納した菅原道真公の御神像と、春日山城主であった堀秀治が慶長4年(1599)に奉納した神楽笛の2点である。
■国道6号線沿いにある第一の鳥居をくぐり小さな天満橋を渡ると、梅林の中に煉瓦造りの灯籠がある。その先にある約150段の石段を登ると大きな木々に囲まれた社殿が現れる。石段を登る途中、少し休憩して振り返ると、日本海を一望できる景観である。
 宮司は足利佐今氏。昭和20年12月生まれ、現在65歳。毎年2月には地域で神楽の勉強会を行っているが、本年5月からは支部の神青会でも神楽の勉強会が始まり、宮司も参加して研鑽に努めている。

新潟県神社庁



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