関山神社
せきやまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大神社 越後国 頚城郡鎮座

   【現社名】関山神社
   【住所】新潟県妙高市関山4804
       北緯36度56分1秒、東経138度12分49秒
   【祭神】国常立尊 伊弉册尊 素盞嗚尊
   【例祭】7月18日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】和銅年間(708−15)裸形上人の開基関山三社大権現と称した
       大同年間(806−10)弘法大師参籠本社並七堂伽藍を造営
       天正6(1578)御館の乱の戦火で焼失
       明治元年10月18日関山神社と改称
       明治6年3月村社
       昭和6年7月13日県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「関山権現」「関山三社権現」「関山三所大権現」と称していた
   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿・神饌所

   【境内社】

『関山神社縁起』によると、「人皇43代元明天皇の和銅年間、裸形上人の開基で、関山三社大権現と称した。のち人皇52代嵯峨天皇の大同年間、弘法大師が当山に参籠し、本社並七堂伽藍を造営し、真言修行の道場とした」
 修験道のなごりを多く残した、毎年7月17・18日に催される関山神社の大祭を俗に火祭りと呼ぶ。
仮山伏による棒術と松引きの行事が特徴で、棒使いは、山伏姿の村の若者(仮山伏)が太刀・槍・薙刀を用いて武技の型を演ずる。松引きは、朴(ほう)の小枝に扇形の「オノサ]、その下に「コノサ」と呼ぶ幣を取り付けた若松に、火打ち石の火をつけて祝い歌を歌いながら境内を引き回す神事。


由緒

祭神
中尊 国常立尊 聖観世音菩薩
左尊 伊弉冊尊 十一面観世音菩薩
右尊 素盞鳴尊 文珠菩薩
往古より妙高山村関山三社大権現と称されていた。古来妙高山は、裸形上人によって開かれ仏の山とされていた。神奈山には神様がおわし、和銅元年(708)、悪疫流行の年を選び、麓の関山村に里宮として前記の三神が勧請された。嵯峨天皇の御代(810)空海上人が、諸国廻歴の折りその神威を観窺し、帰京後帝へ奏上し、壮麗なる社殿を再建する。更に僧坊七十二区を栄築し、大いに仏徳を発揚する。
徳川時代になり、俊海法印が天海上人を通じ、関山霊社を中興せんことを徳川幕府へ懇願する。家康公の台命にて大久保石見守が境内を検分の上、社領百石御朱印を下し、妙高山始め五山とも山林竹木諸役免除を申し付けられ、再び旧時の盛観を得る。
明治維新により、朱印地は悉く上地を命ぜられ且つ、神仏混合を禁じられた為、明治元年10月18日、関山神社と改称する。神社の社殿は、文化5年戊辰の年(昭和62年より180年前)に広く浄財の寄進を得、建築された。その範囲は、高田市、直江津町、新井町始め中頚城一円、新潟市、刈羽郡、魚沼郡、東頚城郡、西頚城郡、戸隠、野尻、針ノ木、飯山町、牟礼、柴津村、富臓村、長野市、野沢、古間の広い範囲でありました。昭和3年10月昇格申請し、昭和6年7月13日県社となり、終戦まで続きました。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



関山神社

由緒
関山神社は往古妙高山関山三社大権現と称し、遠く人皇第43代元明天皇の御宇和銅元年裸形上人の開基にして其の奥院たる妙高山頂には三尊阿弥陀如来を奉祀し、麓の関山には別記三神を観請せり、後人皇第52代嵯峨天皇の御宇大同5年僧空海当山に登り霊験神託により朝廷に奏聞して本堂並に七堂伽藍神社僧坊七十二区を建立せりと伝う。また、当社は、木曽義仲公や殊に上杉謙信公の信仰厚く、別当宝蔵院には時折滞在せし外、出陣の度に起請文を納め戦勝を祈願せりと伝う。その後戦国乱世に社殿僧坊悉く焼亡するも徳川氏の治世となり。東叡山天海の弟子大僧都俊海(上杉謙信公の甥)により再興徳川幕府より神領百石御朱印状、金弊が下附せられ、妙高神奈茶臼不動火打の諸山迄社領であり、上越後第一の信仰の都であつた。明治維新に至り朱印地の上地を命ぜられ且神仏混合を禁ぜられたるため関山神社と改称昭和6年県社に列せらる。現在の本殿は文政元年(1818年)建立せられたるものなり。

社頭掲示板



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