白山神社
はくさんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】奴奈川神社 越後国 頚城郡鎮座

   【現社名】白山神社
   【住所】新潟県糸魚川市能生7239
       北緯37度6分25秒、東経137度59分38秒
   【祭神】奴奈川姫命 伊佐奈岐命 大己貴命
   【例祭】4月23日 春季例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】崇神天皇11年11月創立
       大宝2年(702)創建とも伝える
       霊亀元年(715)当社号に改称
       明応(1492−1501)の頃火災焼失
       文亀2年(1503)以来数回再建
       永正12年(1515)畠山義元寄進
       永禄3年(1560)上杉謙信から太刀社領寄進
       慶長16年(1611)大久保石見守寄進、
       正保2年(1645)松平光長寄進
       寛保年間(1741−44)火災焼失
       明治44年祭神を菊理比売命から奴奈川比売命に変更

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「白山神社」と称していた
   【公式HP】 能生白山神社
   【社殿】本殿流造こけら葺  国の重要文化財
       拝殿・神輿殿・社務所

   【境内社】秋葉神社・八坂神社

中古衆徒寺院22を数えたと伝わる。
明治の廃仏毀釈により別当宝光院が廃され、宝物の一部は神社に移された。
本殿は磐座(いわくら)に乗っかるように配置されている。


白山神社の文化財

白山神社の文化財
重要文化財
 木造聖観音立像
 像高104cm、桜の一木造り、平安後期の作
重要文化財
 白山神社本殿
 三間社流造り向拝一間柿葺 附 棟札4枚
 永正12(1515)年の造立
重要無形民俗交化財
 糸魚川・能生の舞楽
  振舞、候礼、童羅利、地久、能抜頭、泰平楽、納曽利、弓法楽、児抜頭、輪歌、陵王、獅子舞
  4月24日春の大祭で奉納
重要有形民俗文化財
 能生白山神社の海上信仰資料97点
 船絵馬93点 船額4点
 宝暦、明和の古い船絵馬、特に明和3年の「はがせ船」を描いたものは我が国唯一の貴重な船絵馬である。
天然記念物
白山神社社叢
 高さ90メートル、面積3.5ヘクタール、輝石安山岩質の集塊岩の山に暖地性の植物と寒地性の植物や昆虫が混生している。
天然記念物
 能生ヒメハルゼミ発生地
 体長3cm程の小さなセミで、鳴き方は集団的で一斉に大合唱をする我が国の北限の発生地である。
新潟県文化財
 銅像十一面観音立像
 像高35.5cm、平安後期の様式を示す小銅像である。
梵鐘 汐路の鐘
 白山権現の別当能生山泰平寺の鐘で明応8(1499)年に石川県穴水町で造られた。約三分の二の高さで、上下に割れている。
木造泰澄大師坐像
 像高64.5cm、加賀白山の開創泰澄の像で、大永4(1524)年の作である。
舞楽面五面
 陵王2、納曽利11、能抜頭1、陵王面には寛正6(1465)年の朱漆銘がある。
能生町文化財
 拝殿切妻造り茅葺屋根寳暦5(1755)年造立
 朱印状徳川三代将軍家光他11通
 紺紙金字一切経 般若波羅密多経巻 第357
 棟札 文亀3(1503)年 劒社造立
 円境・八稜鏡
能生町教育委員会

社頭掲示板



能生白山神社

古代奴奈川族の首長、奴奈川姫を祀って産土神社としたのが始まりと云われており、かつては権現岳にありました。
社伝によれば第十代崇神天皇10年11月初午の日に始まったとされ、醍醐天皇の命よって作られ927年に完成した「延喜式」に記載されている奴奈川神社にあたるともいわれています。
 白山信仰を開いたと云われる泰澄大師(682−767)が奈良時代に加賀白山などを基地として両部習合を行った際、能生白山神社に仏像を安置し、白山信仰を布教し、社号を白山権現に改められたと伝えられています。
 本殿は明応年間(1492−1501)に火災で焼失しましたが、永正12年(1515)能登守護畠山義元寄進により再興されました。
その建築様式は、三間社流造の前面に一間の向拝を付けたもので室町時代の特色を示しており、国の重要文化財にも指定されています。
 江戸時代、元禄2年(1689)7月11日奥の細道の際に松尾芭蕉が髄行僧曾良とともに能生に宿泊しましたが、この際に当社の「汐路の鐘」を詠んだ句があり、境内にその句碑が建っています。

公式HP



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