布勢神社
ふせじんじゃ 所在地 社名

















   【現社名】布勢神社
   【住所】富山県魚津市布施爪947
       北緯36度49分57秒、東経137度28分26秒
   【祭神】五十猛命 五十日足彦命
       『文政社号帳』天児屋命、五十猛命

   【例祭】3月25日 春季例祭 9月25日 秋季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】継体天皇の時代勧請布施爪大明神と唱た
       延喜年中布勢神社と改称
       天正年間(1573−92)上杉謙信の越中乱入の際に兵焚
       寛文年中(1661〜73)布施爪の中の段へ遷座
       明治41年2月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】布施朝臣
   【鎮座地】はじめは布施爪村の館(現在の朴谷)に鎮座
        寛文年中(1661〜73)布施爪の中の段へ遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       拝殿・幣殿・神具庫

   【境内社】

布施川流域は新川東部では最も早くから拓けたところであり、阿古屋古墳群があり、古代には布勢駅のあつたところでもある。
この神社は大和王権の北陸進出とのかかわりで考えられている。それは祭神が布勢臣氏と考えられるからであり、布朝臣は大彦命の後裔とされている。
一説に布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが、宝永5年(1708)6月18日の洪水で流失し芦弁寺がこの神社を引きとつたという。 現在も芦弁寺にあり、若弁寺雄山神社の境内社若宮神社に合祀という。


布勢神社

人皇27代継体天皇の時代、この神社を勧請し、布施爪大明神と唱へてゐたが、延喜年中布勢神社と改称した。布施郷の総社で、はじめは布施爪村の館といふ所に鎭座してゐた。それが寛文年中(1661〜73)に布施爪の中の段へ遷座した。神位は正一位で継体天皇の祈願所であつたが、天正年間(1573〜92)の上杉謙信の越中乱入の際に社殿ならびに古記録はことごとく兵焚に罹つてしまつたとの口碑がある。

神社明細帳



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