一説には、人皇13代成務天皇の御宇の勧請で、文武天皇大宝年間の再興という。 辰尾村、中川原村、滑川の三か所、千石余の所はこの神社の社領であつたとする伝承もあり、かっては大社であった。 立山山麓の芦弁寺の奥に伊知悲原という所があるが、ここに櫟原神社の旧跡があるとする説もある。 |
櫟原神社と神明町 櫟原神社と神明町 もとは柳原村(現滑川柳原)に所在したといわれ、延喜式内杜の系譜を有する神社。 江戸時代に遷座した。天明3年(1783)の滑川惣絵図には「神明社」と記されている。江戸初期に町の東端の社地に成立したのが神明町である。境内には、安政2年(1855)滑川待ちの俳人亀田呉橋や石川東邱らによつて建立された琶蕉句碑があり、「しばらくは花のうへなる月夜かな」の句が刻まれている。 【常夜灯】 ここの常夜灯は、川瀬屋によって金毘羅社に寄進されたものといわれ、文化12年(1815)の年号が刻まれている。 本来、金毘羅杜では船舶航行の安全を祈願するが、これは道しるぺを兼ねた献灯施設として寄進されたものと思われる。 社頭掲示板 |