白鳥神社
しらとりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】白鳥神社 越中国 婦負郡鎮座
          (旧地)白鳥神社【旧地】

   【現社名】白鳥神社
   【住所】富山県富山市八尾町三田1894
       北緯36度37分16秒、東経137度6分50秒
   【祭神】日本武尊
   【例祭】4月10日 春季例祭 9月10日 秋季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】承暦4年(1080)6月10日神祇官御体御卜奏で奉幣
       康和5年(1103)6月10日御御体御卜奏で奉幣
       明治6年8月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は三田部落の東北方の低地水田中にあつた
        井田川水害のため現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造銅板葺
       拝殿・幣殿

   【境内社】

集落の奥、山麓の鬱蒼たる樹林の中に鎮座している。
旧社地は三田部落の東北方の低地水田中にあつたが、井田川水害のため、山寄りの現地に移転したものという。一説では、この水害のとき流失した神体を拾い上げて祀つたのが寺町の白鳥神社であるという。


白鳥神社

白鳥神社の創建は不詳ですが仲哀天皇(第14代天皇・在位:192〜200年)の御代に勧請されたとも云われ、仲哀天皇は父親である日本武尊の御霊を慰める為に全国から白鳥を献上させ、その中で越国から献上された4羽は当地区で捕獲した白鳥とする説があります。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社の論社で、市内には式内社白鳥神社を自称する神社が複数鎮座しています。当社の旧境内地は三田集落の低地に設けられた水田の中だったとされ、井田川の氾濫により社殿が大破した為、明治2年(1869)にやや高台にある現在に遷座再建したそうです。旧境内地の地名から平安時代に編纂された歴史書である「三代実録」の貞観9年(867)の条に記載されている「御田神」する説もあるようです。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治6年(1873)に郷社に列しています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り、間口5間、奥行き6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。本殿は覆い屋内部の為不詳。祭神:日本武尊。

社頭掲示板



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