加茂社
かもしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】草岡神社 越中国 射水郡鎮座

   【現社名】加茂社
   【住所】富山県射水市戸破3943
       北緯36度43分8秒、東経137度5分50秒
   【祭神】別雷神
       (合祀)天照皇大神 豊受皇大神 建御名方命 高おかみ神 闇おかみ神
       市杵島姫命 宇迦御靈神 大宮売命 猿田彦命 大名牟遅神

   【例祭】11月1-2日 秋季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       昭和18年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】弁財天社
   【境内図】 境内図

戸破加茂社は、戸破村にあった九社が合祀され、主祭神は加茂別雷命で、京都上加茂神社から勧請されている。


加茂社

由緒
加茂社の主祭神は加茂別雷神で京都の上賀茂神社から勧請された神社である。
平安京の頃、上.下両賀茂社は皇室の崇敬も篤く免田(荘園)を持つことを許され、戸破は倉垣荘という荘園で、荘内には二十二社の加茂社(神社)が鎮座され、この戸破加茂社はその総社ともいわれる大社である。
昭和初期に戸破地区の十社が合祀れ18年に郷社に昇格した。
広大な境内地にうっそうとした鎮守の社では競馬神事や草競馬が行われていたが昭和36年の第二室戸台風で約140本の老杉が倒木してその面影はない。
春の大祭には、御神輿渡御にあわせて時代絵巻を思わせる武者行列が厳そかに行われる。

射水市指定文化財(史跡)
名称 加茂社神事馬場跡
指定年月日 昭和33年10月10日
江戸時代の戸破加茂社の神主関陸奥権守は、文化3年(1806)の『神社由来書上』の中で「戸破の加茂大明神は、古所大社であり、神前儀式は、近年まで流鏑馬の神事が行われていたと思われる二百間ばかりの馬場跡がある」と記している。加茂社東側に馬場道を挟んで両側に巨大な杉の木立が並び、昔の競馬の神事が偲ばれたが、昭和36年(1961)の第二室戸台風により大杉の並木が倒れて、今は当時のおもかげはない。
射水市教育委員会

京都上賀茂神社の流水造りの建築仕様として大正9年に新築された拝殿は70年余経過し雨漏りや、瓦の傷みが甚しく、平成2年4月より新町の大坪瓦店の手により、瓦降し新瓦に取替え葺き直し工事を施工したが、70年余使用されていた、この鬼瓦は誠に優雅な古典的なデザインのすばらしい手造り瓦であり、戸破地区の歴史的文化遺産としてここに保存します。
平成2年5月10日完成
戸破加茂社

射水市指定文化財(建造物)
名称 加茂社本殿
指定年月日 昭和61年3月24日
戸破加茂社は、戸破村にあった九社が合祀され、主祭神は加茂別雷命で、京都上加茂神社から勧請されている。貞享2年(1685)の古文書『御領国寺社来歴』には「戸破加茂大明神は山城国加茂より勧請の由申し伝え、別宮末社など相見申し候」とある。
本殿は棟札によると元文5年(1740)に再興修造し、大工棟梁は高岡の樋口又次郎とある。構造は一間社流造りで一間の向拝を張り出し、屋根は柿萱き、軒は二軒の繁垂木である。向拝の柱は方柱で他は円柱である。
正面虹梁の上に龍の彫刻がなされた蟇股が入り、木鼻や手挟の彫刻も江戸時代中期の様式である。現在鞘堂で囲み保護されている。 射水市教育委員会

社頭掲示板



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