草岡神社
くさおかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】草岡神社 越中国 射水郡鎮座

   【現社名】草岡神社
   【住所】富山県射水市堀岡古明神371
       北緯36度46分9秒、東経137度7分49秒
   【祭神】大己貴命 (合祀)事代主命
       『神名帳考証』彦坐命

   【例祭】5月4日 春季例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       寛政・享和の頃(1790〜1803)草岡神社と称す
       明治6年8月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】承応2年(1653)頃には古明神南方の字若宮にあつた
        その後社地は村の北西部に遷座
        享保8年(1723)頃には村寄りで浜往来の南側
        字浜田に移つたが、ここは村の東端にあり、村人の参拝に不便であつた
        天保11年(1840)に現在地に移つた

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「加茂社」と称していた
   【公式HP】 草岡神社
   【社殿】本殿神明造瓦葺
       拝殿・幣殿・社務所

   【境内社】

今より約2000年前、弥生時代には海水面は今よりはるかに低位にあり、海浜は今より幅1kmあまりも広かつたという。
現在は狭長で人の多く住めない古明神の砂洲でも、太古の頃には面積広大な海岸平野であつた。


草岡神社

古老ノロ傳二云、神代ノ昔、草岡ノ地所、万三四里アリテ、草木繁茂シ、悪蛇毒虫ノ巣窟ニシテ、人民恐レヲナシ、敢テ近依ル者アラズ。時二大己貴神、此地耕作二適シ、地味良好ナリトテ、鍬ノ御矛ヲ以テ切伐開墾シ、以テ土民二恩頼ヲ蒙ラシメ玉フ。其後数十年ヲ経テ大己貴神ノ神霊ヲ該地二勧請シ、草岡神社ト称シ奉リシ由。

草岡神社史



式内社草岡神社

祭神
主祭神 大巳貴命(国作りの神・農業神)
副祭神 玉依姫命(水の神・聖母神)
    事代主命(海の神・商業神) 
社傳
当神社の祭神は大巳責命〔大国王命)です。神代のむかし、大巳貴命が宝剣でこの地を開墾したことにより、人々が生活を始め、当地を草岡の里と名付けたと語り継がれています。
平安時代の「廷喜式」神名帳のなかに、草岡神社の名が記されています。式内社と呼ばれる官社として、重要な役割を果たしていたと考えられます。鎌倉-室町時代には下村加茂神社を中心とする倉垣庄が庄域をひろげ、この地にも加茂社が勧請されました。
のち、大巳貴命と、下賀茂神社の祭神玉依姫命を台祀し、江戸時代には加茂社とも草岡神社とも呼ばれていたこともありました。また、境外末社の恵比須社の祭神、事代主命も大正12年に合祀されました。
かっての祭礼には、大猟を祈願し、明神沖で神楽を奉し御輿の御渡が明暦年間(1655)頃までおこなわれていました。春祭りには張子の大鼠が本殿を三進する神楽式、熱湯を笹葉で参詣人に振りかける深湯瓮神式、打手の小槌を持って舞を奉納する御田植神事という古式ゆかしい神事が行われていました。
江戸時代後期の天保11年(1840)現在地に遷り、今日まで地域の人々の守護神として、禍事災難を取り除き日々の暮らしに限りない恩恵を与えてくださるものとして厚い信仰を集めています。

社頭掲示板



草岡神社

由緒:御鎮座の年代は定かでないが、社伝には景行天皇40年(110)、日本武尊の東征の際、守護社として勧請されたと伝えられています。
 平安時代には清和天皇貞観9年(867)に正四位の位を授かると共に、寛治6年(1092)堀河天皇の勅願により玉依姫命を祀る下賀茂社 (京都)に寄進され社領として下村加茂神社が中心とする倉垣庄内に22の末社が勧請され氏神として合祀され祭政一致が行われた。正史には承応2年(1653)の奥書「越中国式内等旧社記」に射水郡13座の一として草岡神社が「延喜式」神名帳に記されています。
 室町・戦国時代に入ると地方庄園が崩壊し神保長職(1547)の支配下に置かれた。 江戸期に入り郷村制が確立し、古明神村加茂社は”加茂社”とも”草岡神社”とも称された。「文政元年(1818) 古明神村の村鑑帳」には、「家数52軒 三社 草岡・加茂・恵比須」とあり神社1カ所に草岡社と並んで二つの社が併置されています。境外末社の恵比須社の祭神、事代主神も大正12年に合祀されました。
 明治5年に郷社と格付けされ延喜式内社に列せられています。
 江戸時代末期の天保11年(1840)現在地に遷り、何度かの立替の後、昭和15年正月大雪に見舞われ遂につぶれたため、同年9月3日にその時代のはやりとして神明造として再建された。その後、大改修は昭和48年、平成6年に行っている。草岡神社の祭神は「大巳貴命」、「玉依姫命」、「事代主神」の3神が合祀されています。草岡神社は幾たびかの風水害で社地・社伝・旧記を亡失していますが、今も由緒ある神社として、信仰が厚い。

公式HP



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