箭代神社
やしろじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】箭代神社 越中国 射水郡鎮座
          (旧地)箭代神社(旧地)

   【現社名】箭代神社
   【住所】富山県氷見市北八代787
       北緯36度53分34秒、東経136度59分11秒
   【祭神】葛城襲津彦命
   【例祭】3月9日 例祭 8月14日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】文治5年(1189)8月義経奥州下向の時亀井六郎重清神馬・太刀奉納
       天正年中(1573−92)本社出火
       明治5年郷社
       昭和5年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は現社地の後方、道路と田園数百メートルを距てた中山丘陵中
        その後現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八代神社」「愛宕社」と称していた
   【社殿】本殿流造瓦葺
       拝殿・神饌殿・神輿庫・社務所

   【境内社】

一説に、もとは現在の磯部神社のある所に箭代神社があり、磯部神社はもと上宮(磯部部落の北方1kmの山中)にあつた。中世の戦乱のつづいた折にこの二社は荒廃して、のち再興された時に、箭代神社は北八代の中山(旧社地)に移り、箭代神社の旧社地に磯部神社が移つたのだという。


箭代神社

御由緒
延喜式内
旧県社 箭代神社
本神社は延喜式内箭代神社にて、祭神は葛城襲津彦命を祀る。本市内の市民其の子孫多き故か、氏神の神社という。
 旧八代庄北八代村、箭代神社として、三十三ヶ村の総社たり。明治5年七尾縣に郷社に加列せられ、昭和5年富山縣の縣社に昇格す。氷見市内において最古、最高位の神社なり。
 祭神葛城襲津彦命は武内宿彌の第八子にして、神功皇后摂政5年新羅を撃ち帰り、応神天皇14年更に加羅国に使いし、3年を経て帰られたり。  応神天皇の皇后、磐之媛命はこの命の御子にて、履中天皇・反正天皇の御生母なり。故に、命は二帝の御外祖父に坐す。

社頭掲示板



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