一説に、もとは現在の磯部神社のある所に箭代神社があり、磯部神社はもと上宮(磯部部落の北方1kmの山中)にあつた。中世の戦乱のつづいた折にこの二社は荒廃して、のち再興された時に、箭代神社は北八代の中山(旧社地)に移り、箭代神社の旧社地に磯部神社が移つたのだという。 |
箭代神社 御由緒 延喜式内 旧県社 箭代神社 本神社は延喜式内箭代神社にて、祭神は葛城襲津彦命を祀る。本市内の市民其の子孫多き故か、氏神の神社という。 旧八代庄北八代村、箭代神社として、三十三ヶ村の総社たり。明治5年七尾縣に郷社に加列せられ、昭和5年富山縣の縣社に昇格す。氷見市内において最古、最高位の神社なり。 祭神葛城襲津彦命は武内宿彌の第八子にして、神功皇后摂政5年新羅を撃ち帰り、応神天皇14年更に加羅国に使いし、3年を経て帰られたり。 応神天皇の皇后、磐之媛命はこの命の御子にて、履中天皇・反正天皇の御生母なり。故に、命は二帝の御外祖父に坐す。 社頭掲示板 |