上庄川の東岸小高い尾根の上に鎮座する。 久目川(今の上庄川)の守護神として尊崇された。 往古は神仏習合によりは四十八坊もあつたと伝承されているが、戦国時代兵乱数度に及び社殿等も焼失し社人も退散という。 |
速川神社 瀬織津比売命は、従来現地鎮座速川神社の祭神にして当社速川神社は延喜式内の社にして久目川(今の上庄川)の守護神として尊崇され、川岸村落早借等8ヶ村の総社にして、天正年間までは早借の領主岩田釆女(子孫今に金沢市に在住)の祈願所にして社領250石を寄進、神官、社僧も数多く奉仕せしも、兵乱度度に及び社殿等も焼失し社人も退散せり。 宝物中には延喜時代の作、白銅鏡一面と神道卜部良連書の速秋津彦命及猿田彦命の神号掛軸二巻を保存す。 倉稲魂命(早借字金平2349番地稲荷社の祭神)菊理媛命(早借字江尻1030番地鎮座白山社の祭神)大山咋命(早借字土窪2322番地鎮座日吉社の祭神)は昭和4年9月16日合祀す。 昭和63年4月吉日 建之 社頭掲示板 |