丘の周辺は旧布勢湖趾、萬葉集に布勢水海とあるもの、今は一望の美田となっている。 上代よりありし旧社であったが、相殿に家持卿の霊を祀り、御蔭明神と号した。いつしか布勢の社号も廃絶し、家持卿の事のみ伝わる社となった。 |
布勢の円山 氷見市指定文化財(名勝) 布勢の円山 昭和55年10月25日 指定 布勢の円山は、水田の中に島のように盛り上がっているので、どこから見ても丸く見える。周囲約300m、高さ約20m、そこからの眺めはありし日の布勢水海を思いめぐらすのに最適である。 祭神は、四道将軍の一人として北陸道の鎮撫にあたったいう大彦命で、布勢一族が祖先神をまつったものと伝えられたいる。 この社の後ろに境内社として「御影社」があり大伴家持をまつっている。 布勢神社境内にある石碑は万葉にかかわる碑として、県内最古のものといわれる享和2年(1802)の古碑(山本有香撰文)と明治33年、大伴家持の千百年祭が行われ、地元の有志によって建てられた大伴家持卿之碑(重野安繹撰文)が向かい合っている。 社頭掲示板 |
御影社 明日の日の 布勢の浦みの藤波に けだし来鳴かず 散らしてむかも(巻18・4043) この歌は、天平20年(748)3月24四日、奈良の都から使者として越中に来た田辺福麿の歓迎宴の席上、国守大伴家持が「明日はまず越中の名所布勢の水海へ案内しましょう」と福麿を誘ったのに対して、福麿との間にとりかわされた歌のなかの一首、福麿が、 藤波の咲き行く見ればほととぎす 鳴くべき時に近づきにけり(巻18・4042) とよんだのに対して家持が「明日眺めようという布勢の海べの波のように咲き匂う藤の花に、ほととぎすが来て鳴かないで、せっかくの花をむなしく散らしてしまうのではなかろうかと気がかりです」と答えたもの。 藤波とほととぎすによって布勢の水海の季節感を美しく歌いあげている。 隣にある小祠は、かっての御影社です。地元、布勢地区で大伴家持御1200年祭(昭和60年9月)を記念して改築されたので、古いのを移して保存したものです。 氷見市教育委員会 社頭掲示板 |
布勢の円山 今から約1300年前は、ここから見える田 園一帯は「布勢水海」と呼ばれる大きな水海でした。大伴家持は、746年かた751年まで越中の国守として越中国府(現在の伏木)に住んでいました。 大伴家持は、布勢水海をこよなく愛し、遠く都から訪ねてきた友人らと舟遊びをし、美しい風景を数多く歌に詠んでいます。 布勢の海の沖つ白波あり通ひ いや年のはに見つつ偲はむ(3992) (布勢の水海の沖に立ちさわぐ白波の美しい景色を、こうしていつも通ってきて、毎年眺めることとしよう) 環境省 富山県 社頭掲示板 |
氷見市指定名勝 昭和55年10月25日指定 布勢の円山 布勢の円山は、高さおよそ20mの独立した丘陵である。 万葉集に詠われている「布勢の水海」は、この辺りに広がっていたと想像され、古くから文人墨客が布勢の円山を、そこに浮かぶ小島か崎として考えた、風光すぐれる万葉ゆかりの地である。 全国で初めて大伴家侍を祀った御影社や県内最古の万集歌碑などが建てられている。 また、式内社布勢神社の祭神は、四道将軍の一人大彦命で、布勢一族の祖先神と伝えられている。 氷見市教育委員会 社頭掲示板 |