最初は宇摩志麻遅命のみを祀つたものであるが、中古八幡宮を併祀したのであろうと言われているが、この地には海老坂八幡宮があり、この八幡宮が金沢卯辰山へ勧請されて卯辰山八幡宮となり、前田利家霊を合祀し、朗治以後市内へ遷座されて尾山神社となつた。 海老坂八幡宮が移った跡にもっと山奥に鎮座していた物部神社が遷座されてきたものと思われる。 |
物部神社 〔物部神社〕本社は守山村東海老坂、烏帽子山に在り。延喜式内越中の國三十四座の一にして、物部氏の祖宇摩志麻遅命を祀る。創建年月等は不詳なれども、古社にして、文徳天皇仁壽元年(皇紀1511)正月正六位に叙せられし以來、屡々叙位の事あり。往昔は奥の山にあり、氷見の庄物部神社と称し、氷見の庄百ヶ町村にて奉仕し、毎年十三石五斗の米を庄内より奉幣し居たりしも、戦國争乱の際一時其の事止みたり。然れども神保氏守山城主たるに及び、武門守護の神として厚く崇敬して祈願所となし、前田利長また相継いで尊崇し、神領草高十三石五斗余を下関村(今の高岡市下関)地内に於て寄進し、且つ社殿の造営等は悉く藩費を以て弁じ、又維新前までは大祭には郡内の神職一名つゝ交番を以て御用勤めと称し、加勤するを例とせり。今八幡宮・諏訪社を合祀して村社たり。 〔八幡宮〕本社は貞観3年、與力麿神託により河内國誉田より勧請、海老坂鳥帽子ヶ峰に鎭座。海老坂八幡宮と称し、二上神社の末社にして、元東海老坂大城坊の地に鎭座あり。神保氏厚く尊崇して、次で前田利長守山在城の砌り、鎭守の神として崇敬せしも、慶長四年(皇紀2259)金澤卯辰山に遷し、藩祖前田利家の霊を合せ祀る。今の別格官幣社尾山神社之れなり。 守山村誌 |