この神社は「道路の神」の意味で道神社と名付けた、式内社であることを主張していない。 |
道神社 富山県指定有形文化財(建造物) 道神社拝殿 附棟札二枚 平成5年8月18日指定 この建物は、元は石動山天平寺の開山堂として、享和元年(1801)に建立された。大工棟梁は射水郡大窪村の藤岡信濃守藤原富綱である。 明治維新により、石動山が寺領の没収や七力国知識米勧請の停止など、一山の経営ができなくなったため、諸堂を売却した際、中田村が道神社の拝殿として買い受けたものである。 形式は宝形造、屋根は柿葺で、軒下は二軒扇垂木、三手先、詰組、尾垂木、蛇腹支輪で装飾する。軒出が3.18mと深い。正面の桟唐戸は、中央間には梅の透かし彫り、両端間には牡丹の彫刻を配している。 平成12・13年度に瓦葺を柿葺に復元するなどの大規模修理を行い創建当時の姿によみがえった。 なお、享和元年(1801)に建立した際の棟札と、明治10年(1877)に現在地に再建したことを記す木羽板が附指定となっている。 富山県教育委員会 氷見市教育委員会 社頭掲示板 |
道神社 県指定文化財 建造物 道神社拝殿附棟札二枚 中田 道神社 この建物は、もと石動山天平寺の開山堂として、享和5年(1801)に建立されたものであるが、明治維新後の神仏分離により石動山が瓦解した際、中田地区が買い受け、道神社拝殿として移転再建されたものである。 この拝殿は、宝形造の仏堂形式であり、前口、奥行ともに4.7mの総けやき造である。特徴を列記すると次のようである。 ・組物は禅宗様三手先詰組である。 ・軒は二軒で扇垂木である。 ・隅柱に獅子の木鼻、隅木の下に龍の持ち送り、梅の透かし彫りのある桟唐戸等、精緻な彫刻が見られる。 残る棟札から、加賀藩の保護を受けた大工集団であるの大窪大工の棟梁、藤岡信濃守富綱の手によることが確認され、その技術の粋が結集した建物である。 移築以降、瓦葺となり、その重さのため軒の出の垂下りが見られるなど、傷みが激しかったため、屋根を元のこけら葺とするなどの保存修復工事を実施し、往時の姿によみがえった。 http://www.city.himi.toyama.jp/~60400/bunkazai/9-mitijinjya.htm |