本殿の建つている所はもと古墳であり、大正10年8月、宮内省諸陵寮より調査の結果、祭神御一族の陵墓なりと認定されたという。 |
道神社 延喜式内社 道神社の椎 神域に拡がる樹叢の裡 今に残るこの椎の大樹は、平地では珍らしく、樹令も凡そ七・八百年と云われ、「当地方の荒野を開拓し、農耕殖産の適地にして住み良き処と、道公知茂里が神恩に感じて植栽したものと社伝にいわれている 樹幹の周囲7m余 高さ18m余 近郷村の佳き目標となり、古来から定置網の方位を指定したものであった。 新湊市観光協会 昭和48年3月 社頭掲示板 |
道神社 彦屋主田心命ハ崇神天皇ノ十年秋、北陸ヲ巡接シ給フ大彦命ノ孫ニシテ、越ノ國造道公ノ祖ナリ。古來現地ニ鎭座シ、越中國式内三十三座ノ一ニシテ、朝野ノ崇敬厚ク、天安年中從四位下房世王詣デテ、神位及ビ位田ヲ賜フ。中世兵火二罹り、社殿神宝灰燼トナル。明治5年9月、射水郡第二十一大区三十九ケ村ノ総社トシテ郷社ニ列セラレ、同40年4月12日、神饌幣帛料供進神社ニ指定セラル。大正10年2月8日、字逆子ニ鎭座ノ八幡社及ビ字苗代ニ鎭座ノ神明社ヲ合祀ス。同年8月6日、宮内省諸陵寮ヨリ本殿高地ノ古墳ヲ検証セラレ、祭神御一族ノ陵墓ナリトイフ。 同12年8月、社格昇進方出願シ、境内拡張、本殿造営ヲ行ヒ、昭和2年8月341日縣社ニ列セラレタリ。 社頭掲示板 |