福岡町赤丸の浅井神社とは共に「川人権現」或は「三社権現」と称されていて、社伝も共通するところが多く本来は一社であったと思われる。どちらが本社で分社かは不詳。 |
浅井神社 五位庄 五十三ヶ村 惣社淺井神社畧誌 一 鎮座地 富山縣高岡市石堤字中村3599番地 旧西砺波郡石堤村字石堤 一 祭神 水波能女命 一 由緒 養老元年3月創建 天平寳字3年11月24日東大寺開田砺波郡石粟村営施入田より神領一段を献つる 嘉祥元年8月越中守和氣豊永参向官幣を献つる 文徳天皇仁壽3年3月春日朝臣雄継神田六段を献ず 南北朝時代金剛寺學頭禅恵當地に来り惣持寺再建す宗良親王を始め忠臣武将多く来り回天の事業達成の爲参拝祈願の事あり 五位庄領主中山治部左ヱ門國松社運興隆の為画策するところあり 延寳6年金澤藩主前田綱紀式内神社調査の爲参拝あり以来藩命により祈雨祈晴五穀豊穣百姓安堵の祭事を行ふ 元和年間大百姓長四郎十一面観音毘沙門天八幡大菩薩の三像を合せ祀るに及んで論争あり 明和元年5月藩命により神璽月野谷見多気神社に借座ありたるを十村五十嵐篤好等の努力により復座あらせらる 明治14年郷社に列せられ後神饌幣帛料供進の神社に指定せらる 昭和38年12月 社頭掲示板 |