越後の長尾龍景との戦いで焼失し、現在地に遷座したと伝えている。 |
比売神社 沿革:文政10年同境内鎮座十社之社を合祀。明治42年柳瀬一ノ輪鎮座神明社、企年柳瀬二階堂鎮座田稲社の二社を合祀した。明治44年柳瀬新明堂鎮座姫神社を合祀した。 由緒:永正3年(1507)越後の長尾能景が越中に入り増山及芹谷野に遊佐慶親の軍勢と戦った為に什器記録の類多く炎上散佚した。 祝部黒田某神璽を奉持し小矢部川を越え子撫川の辺り宮島谷の里に奉遷し、天正年間(1580)本社に還御になったと。ん 又正徳2年の頃(1712)まで庄川の東岸に鎮座せられたのを洪水のため川西の現在地に遷座になったが、祭神は届出・或は取調の度毎・式内比賣神社市杵島比賣命に変りはない。 社頭掲示板 |
柳瀬比賣神社石造物報告 平成25年(2013)4月、比賣神社奥殿の解体工事中に基礎土中から中世石造物が発見された。石造物は、随身坐像左大臣(阿像)・右大臣(吽像)各1、狛犬1、阿弥陀如来坐像1、円形蓮華座1、六角形蓮華座1、地蔵菩薩立像5の11個体である。同じ柳瀬地内の万遊寺には同一組成であったとみられる地蔵菩薩立像が1体ある。これらは14?15世紀に造像されたとみられ、明治の神社合祀策に伴い移動・集積され、明治44年建築の比賣神社奥殿の基礎に埋められたと考えられる。 【報告書】 柳瀬比賣神社石造物報告 全国遺跡報告総覧 |