八幡宮
はちまんぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】荊波神社 越中国 礪波郡鎮座

   【現社名】八幡宮
   【住所】富山県小矢部市臼谷6967
       北緯36度37分21秒、東経136度49分10秒
   【祭神】誉田別命 彦波瀲武鵜鵜草葺不合尊 日子刺肩別命 伊邪那岐命 少彦名命 建御名方命
   【例祭】9月15日 秋季例大祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

集落の奥、谷間の山裾に鎮座する。大杉有り。大友家持の歌碑あり。
神社明細帳に「當社ハ延喜ノ神各帳にアリシ當國礪波郡鎭座荊波神社ナリト云フ。然レ共確証無之」とある。


八幡神社

臼谷の岡村遺跡は、縄文中・後期(4000年〜5000年前)の集落跡といわれ、また、字岡ノ城の河岸岸段丘の上には、奈良時代より中世にかけての跡が残されている。
臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往昔日より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波部鎮座の荊波神社であると伝えられている。
奈良時代、越中守大伴家持は、国守として墾田地の検察に、この地に来り思いがけぬ雨にであい、帰ることができなくなり、
荊波の里に宿借り春雨に
こもりつつむと妹につけつや (万葉集巻の18)
の一首を詠んだという。
臼谷の地は古来より、八幡宮をはじめ、小白山、臼谷砦、小原道、小原越等々、史跡多く、また、ふな、うらじろかしの混生林、或いは、年中清洌な清水を湧出し、人びとに憂用された大清水、あしつき等あリ由緒の地である。
ここに、臼谷にまつわる歴史、文化の沿革を石に勒して後世に伝える。
昭和61年11月18日

社頭掲示板



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