集落の奥、谷間の山裾に鎮座する。大杉有り。大友家持の歌碑あり。 神社明細帳に「當社ハ延喜ノ神各帳にアリシ當國礪波郡鎭座荊波神社ナリト云フ。然レ共確証無之」とある。 |
八幡神社 臼谷の岡村遺跡は、縄文中・後期(4000年〜5000年前)の集落跡といわれ、また、字岡ノ城の河岸岸段丘の上には、奈良時代より中世にかけての跡が残されている。 臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往昔日より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波部鎮座の荊波神社であると伝えられている。 奈良時代、越中守大伴家持は、国守として墾田地の検察に、この地に来り思いがけぬ雨にであい、帰ることができなくなり、 荊波の里に宿借り春雨に こもりつつむと妹につけつや (万葉集巻の18) の一首を詠んだという。 臼谷の地は古来より、八幡宮をはじめ、小白山、臼谷砦、小原道、小原越等々、史跡多く、また、ふな、うらじろかしの混生林、或いは、年中清洌な清水を湧出し、人びとに憂用された大清水、あしつき等あリ由緒の地である。 ここに、臼谷にまつわる歴史、文化の沿革を石に勒して後世に伝える。 昭和61年11月18日 社頭掲示板 |