新興住宅に囲まれわかりにくい。福田郷の総社。長く「十禅師大明神」と称した。明治の神社明細帳に至つて「荊波神社」と改称した。 |
神社の由来 荊波神社は平安中期の延喜式(972 きめられた法令集)の中に御名がある。 鎌倉時代以降、比叡山妙法院が福田郷十村を管理するようになると、神仏が混り合い、福田郷惣社「十禅師大明神」と申し上げた。 戦国期の文禄2年(1593)には、前田二代利長が当社へ祈祷仰せつけた古文書(市文化財)も現存する。境内には『万葉集』記載の天平勝宝2年(750)越中国守大友家持が墾田視察にやってきたとき誦んだ やぶなみの里に宿借り春雨 こもりつつむと妹に告げつや の歌碑もあり、往古を偲ばせている。 荊波神社奉賛会 昭和63年10月吉日 社頭掲示板 |