長岡神社
ながおかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】長岡神社 越中国 礪波郡鎮座

   【現社名】長岡神社
   【住所】富山県小矢部市七社字村中 1575
       北緯36度40分32秒、東経136度55分42秒
   【祭神】鵜草葺不合尊・天照大御神・誉田別命
   【例祭】9月7日 例祭
   【社格】郷社
   【由緒】貞観18年(876)勅使参詣
       明治6年8月郷社
       明治42年(1909)神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「七社明神」「宮森八幡神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】

近くの桜町遺跡では「長岡神社」(ながおかじんじゃ)「祢宣」(ねぎ)「大祝」(おおはふり)といった文字が記載された木簡が発掘されている。
新潟県小千谷市の魚沼神社に。上杉謙信が七社明神から戦利品として持ち帰ったと伝わる「大般若経」がある。


長岡神社

所在
富山県小矢部市七社84番地
創立等については相当古代にて不詳なるも延宝6年(1678)の「越中式内并式外之覚」「神祇志料」などに何れも七社所在説、(現在地)を明示している。
祭神
鵜草葺不合尊  主神
天照皇大御神  七社神明宮の祭神 明治42年(1909)に合祀
誉田別命 七社八幡宮の祭神 明治42年(1909)に合祀
由緒
平安朝の延喜年間(901〜)に勅選せられた「延喜式」では越中国三四座の砺波郡七座の一座として記載され糸岡郷三三ヶ村の総社として旱魃、霖雨の祈祷、或いは農作物の虫害、風難除けの祈願更には安産の守護を祈って御加護を賜ったと語り伝えられ、広く世人の尊崇を集めている。又、古来よりの武徳も種々の伝言あり朝廷勅使の参詣「貞観18年(876)」の記述等もある。
明治6年(1873)に新川県第二三大区一二四ヶ村の郷社に列せられ明治42年(1909)に富山県告示を以って神饌幣帛料供進神社に指定されていた。
神事
古記によれば「春季例祭の競馬神事」「秋季例祭の誓湯神事」のほか「御田植神事」などが行れた。
長岡神社お田植歌(抜粋)
 みづほの国は あめつちの
 動かぬ限り 日の神の
 みてらすまゝに ゆたかにも
 今日こそ早苗を 植るなれ
平成2年9月
長岡神社社務所

社頭石碑



長岡神社

鵜草葺不合尊往古ヨリ七社村氏神ニシテ、創立年月等不詳。然ルト雖モ、延喜式内社,ニシテ、旧來糸岡郷三拾三ケ村郷社之処、明治六年八月礪波郡旧二十三大区郷社二列ス

神社明細帳



越中国INDEXへ        TOPページへ


学校データ