平安時代後期の頃に修験の信仰によつて、八郎潟湖岸の高岳山(221m)に神霊が祭られていた。佐竹氏がここに城都北門の鎮めの社を祭つた。 式社治定にあたりこの社を副川神社とした。 当初は、大仙市の神宮寺岳山頂に祀られていたが、佐竹氏が久保田城に治府を置き、北門守護のため高岳山へ遷したものという。 日本最北の式内社。 |
副川神社 高岳山 標高221.4m 山体は、森山火山岩類の普通輝石、黒雲母、角閃石、石英安山岩から成る。 山頂の展望台からは躍進八郎潟町が一望に見下ろし、南方に湖東平野、西方に寒風山、新政大潟村が眺望できる。 山頂に日本最北の式内社(国社)福川神社があり、山腹第3の鳥居(通称中の鳥居)の石灯籠は、高さ約2.5mの永久常夜灯でかっては八郎潟を往来する船にとって灯台の役目を果たした。 社頭掲示板 |
副川神社 延喜式内社にて旧秋田藩主代々の鎮守である。 出羽九座の一座で、明治5年6月郷社に列せられる。 明治40年1月神饌幣帛料供進神社に指定される。 秋田県神社庁 |