小物忌神社
おものいみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】小物忌神社 出羽国 飽海郡郡鎮座

   【現社名】小物忌神社
   【住所】山形県酒田市山楯山下
       北緯38度53分57秒、東経139度56分29秒
   【祭神】級長津彦命 級長津姫命 豊受比売命
   【例祭】8月17日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】景行天皇の治世武内宿禰東国巡視の際に宮籍に
       元慶2年(878)8月4日従五位下
       元慶4年(880)2月27日従五位上
       寛治5年(1091)源義家東国遠征の際大刀と鏑矢を奉納
       永正年間兵火によつて社殿焼失
       宝暦9年(1759)山館の長久寺が別当となり神社称号亡失
       明治維新で神仏分離令で神社となる
       明治9年村社
       明治9年11月11日小物忌神社と称して郷社
       同年同月21日国幣中社大物忌神社摂社
       明治32年3月16日焼失
       同35年3月県社
       同40年4月11日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】もともとは三宮村にあつた

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大坐明神神」と称していた
   【公式HP】 小物忌神社
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所

   【境内社】

寛治5年(1091)源義家の東国遠征の際、賊軍の勢が強く、不利の時、部下の首藤主馬に大物忌・小物忌両社に祈らせたところ、戦勝に転じたので帰陣後、大刀と鏑矢を奉納したという。
永正年間に兵火によつて社殿が焼失し、社領は砂越の城主武藤萬歳丸に没収された。その際、御神体は焼失し、台座のみが残り、その焼残った台座を社地に安置して拝したので、大座大明神と云われた。
宝暦9年(1759)山楯の長久寺が別当となり、その後観音が主となり神社の称号なくなる。明治9年(1876)小物忌神社として郷社となる。


小物忌神社

社伝によれば、景行天皇の御代、武内宿禰の北陸巡視の際に、はじめて官籍に録せられたと云う。
三代実録に元慶2年8月従五位下勲九等を授けられ同四年従五位上授ける。実に式内の古社にして大物忌神社・月山神社と共に飽海郡の三座と称せられる。
なお、社記に「寛治5年源義家東国征討之時、賊勢甚強軍不利、将軍自知難勝、使侍臣首藤主馬祷大物忌小物忌両社、戦勝果有感應、得討賊陣之後奉大刀並鏑矢」とある。
嘉保2年拝殿を再建、天正年中兵災により社殿焼失し、社領は武藤氏に没収。以来戦乱にあったが、元和8年酒井宮内大輔忠勝入国後社殿は修復され明治9年2月24日村社に同年11月11日郷社に列せられ国幣中社大物忌神社摂社に定められて、明治35年3月25日県社に昇格した。

公式HP



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