西寒多神社
ささむたじんしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】西寒多神社(大) 豊後国 大分郡鎮座

   【現社名】西寒多神社
   【住所】大分県臼杵市野津町大字西寒田392
       北緯33度4分30秒、東経131度39分55秒
   【祭神】八幡大神 筥崎同神 軻遇突智命 迦具土神 伊邪那美命 菅原神 少名彦命
   【例祭】10月第3日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       貞観11年(869)3月22日従五位下
       応永15年(1408)大友親世此の地よりより大分市寒田の地に奉遷
       文化9年(1812)白川神祇伯「鎭国一宮西寒田神社」社号を授与
       文化12年(1815)社殿造営
       文化14年(1817)神道長上より「西寒田神社」の社号
       明治6年村社
       昭和15年社格昇格運動が始まったが、終戦を迎え、実現できなかった。

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初の鎮座地不詳
        応永15年(1408)大友親世此の地よりより大分市寒田の地に奉遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・神饌所

   【境内社】

西寒多神社は初大野郡野津ノ荘寒田村にあつたのを伝えによると、大友能直十世ノ孫式部大輔親世、応永7年、將軍義満により從四位下九州節度使に補せられたとき、応永10年3月この神社を、居城の南に移して、この地を寒田と名づけたとある。その後此の地大野郡寒(サワ)田の方は衰え、今は祭日の定めもなく、神官なども絶え、僅かに一茅宇が残るだけになつたとある。
『龜山隨筆』にも「西寒多神社は初め、大野郡野津ノ荘寒田村」に鎮座していたことが記されている。
明治維新後、八幡神に新に五神を合祀し、「西寒田神社ト奉称シ」たとある。


西寒多神社

延喜式云豐後國大野郡一座大西寒多神社 三代實録云貞觀十一年三月庚辰授豐後國无位西寒多神從五位下灼然傳之書乃□加□□□□□□□西寒多之神
文化九年十一月從五位下藤原□長宣綱男鶴峰戊申作

社頭石碑



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