集落のおくの高台に鎮座する。式内社・田土浦坐神社の論社とされている。 |
由緒 当廣幡八幡宮は、嘉慶元年(1387年)10月に創建され田土浦の安の津 比良山(平山)の東を鎮座地として田土浦神社、または 水母八幡宮と称された。寛永9年(1632年)2月に現在の宮山に遷り、同年6月に廣幡八幡宮と改称され、宮浦、阿津、小串の産土神として祭祀された。寛文6年(1666年)5月に備前藩が神佛習合の祭祀を分離するにあたり、同7年3月に京都神道管領吉田家の社印を受け、石清水八幡宮の神霊を勧請した。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
広幡八幡宮 当社は、嘉慶元年(1387)10月に創建され田土浦の安の津、比良山(平山)の東を鎮座地として田土浦神社、または水母八幡宮と称された。 寛永9年(1632)2月に現在の宮山に遷り、同年6月に廣幡八幡宮と改称され、宮浦、阿津、小串の産土神として祭祀された。 寛文6年(1666)5月に備前藩が神仏習合の祭祀を分離するにあたり、同7年3月に京都神道管領吉田家の社印を受け、石清水八幡宮の神霊を勧請した。 岡山県神社庁 |