社伝によると、筑前国(現・福岡県)宗像郡の宗像神杜を勧請したもので、古くから航海の守護神として、船乗りの信仰を集めていたという。 かつてはこの辺り一帯は大小さまざまな島を浮かべる“吉備の穴海”と呼ばれる一角で、入江が深く入り込んでいたところである。 一帯は古くは入江であり古代からの遺跡が多く残っていることから、当社は社伝通り航海の守護神として勧請されたとも考えうる]。社殿の背後には円墳も残っており、祭祀の古さがうかがえる。 |
宗形神社 式内社 宗形神社 延喜式(神名帳)に記載されているもと郷社。祭神は田心姫命,湍津姫命,神杵島姫命。社伝によると福岡県の大社宗像神社を勧請したものといい、古くから航海の守護神として船乗りの信仰を集めていた。社殿は昭和12年(1937年)の改築。境内末社に疫清神社、祖霊社がある。 宗形神社 古墳 1997年7月に新たに発見された古墳で、この時に応急の発掘調査を実施しました。 古墳の高まりは、現況で直径約15m、高さ2mの円墳です。頂部の中央にある埋葬施設は、丁寧に加工した板状の花崗岩を組立てた箱式石棺と呼ばれる構造で、内面には赤い顔料が塗られています。長さ190cm、幅50cm、高さ40cmの棺内には、頭の方向を東西に違えて男女二体の人骨が残っており、鉄製の斧・鍬・ナイフ(刀子)、碧玉やガラスの玉、青銅製の鏡が副葬されていました。鏡は本来の大きさが二十数センチもある立派なものですが、古い時代に割れ、破片の状態で布に包んで置かれていました。 この古墳は西暦4世紀後半(今から1600年余り昔)に築かれたもので、眼下に見渡せる大窪地区一帯に根を下ろした中小の首長の墓とみてよいでしょう。 社頭掲示板 |
宗形神社 この神社は、国鉄・吉備線備前一宮駅から県道・妹尾〜御津線を砂川沿いに北へ約3Kmの、岡山市大窪193番地にある。もと郷社。 社伝によると、筑前国(現・福岡県)宗像郡の宗像神杜を勧請したもので、古くから航海の守護神として、船乗りの信仰を集めていたという。現在では、この地はかなり内陸に位置しており、航海との結び付きが想像できにくい面もあるが、かつてはこの辺り一帯は大小さまざまな島を浮かべる“吉備の穴海”と呼ばれる一角で、入江が深く入り込んでいたところである。 祭神は、福岡・宗像神社と同じ海の三女神で、田心姫命、滞津姫命、市杵島姫命である。 社殿は、宗形山と呼ばれる小丘の頂上に、南面して建てられている。本殿は、昭和12年(1937)に改築されたもので、正面三間・側面二間、流れ造り・銅板葺き(もとは桧皮葺き)で、周囲には板垣が巡らされている。 境内の末社には、疫清神杜と祖霊社がある。 本殿の裏手(北西部)には、円墳と見られる小丘があり、昭和12年の本殿改築の際に玉類や剣類が出土したと伝えられていることと関係がありそうである。 南側には、百段余りの石段の参道があるが、近年、北西側から本殿の裏側まで道路が付けられたので、車で上がれるようになった。 |
宗形神社 延喜式に宗形神社、本国(備前)総神名帳に宗形神社、備前一宮吉備津彦神社左楽頭本に宗形神社と記載してある。本郡二所の名社である。明治4年10月郷社に列格。明治40年1月27日、明治39年勅令第九十六号第一条第二項に依り、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。 岡山県神社庁 |
式内社宗形神社 大化の改新(645)によって、国・郡の制が布かれる以前からあった神社のためか、全国でも稀な字に、宗形と神領を示す聖なる山に鎮座する。 非常に古く、発祥の年号は定かではないが、御祭神は皇祖、天照大神の御子神、田心姫神・湍津姫命、市杵島姫命の三神が「汝三神、宜しく道中に降居して、天孫を助け奉り、天孫に祭かれよ」の御神勅に則って、天孫降臨の後古代の山陽道えでの交通の要所で、馬屋之郷と呼ばれた地域の中心大窪村に、航海の守護神として有名な福岡県の大社「道主貴」(国民のあらゆる道をお導きになる貴い神様)といわれる宗像神社を神勧請されたものと思われる。 従って延喜5年(905)延喜式(神名帳)に記載されている式内社で「神上金剛寺本には正四位下、宗形大明神」とあり、朝廷より奉幣にあずかり、神祇官により祭祀がおこなわれていた格式の高い神社であった。 近年明治になっても、明治4年10月郷社に列格、明治39年勅令第96号第1条第2項により、神饌幣帛料供進神社に指定された神社である。 社頭掲示板 |