社伝によると、弘仁年中(810〜824)に山城国愛宕郡の加茂大明神(現・京都市北区の上加茂神杜)を勧請し、現社地の南方の字矢阪にある大明神屋敷に祭ったといわれる。 |
鴨神社 この神社は、国鉄・吉備線足守駅から国道四二九号線を北へ約21Km、国鉄・津山線金川駅からは宇甘川沿いに県道・高梁〜御津線を北西に約20Kmの、御津郡加茂川町上加茂471番地にある。もと郷社。 社伝によると、弘仁年中(810〜824)に山城国愛宕郡の加茂大明神(現・京都市北区の上加茂神杜)を勧請し、現社地の南方の字矢阪にある大明神屋敷に祭ったといわれる。 祭神は、別雷命(饒速日尊の別称)を主神として、品陀別命、足仲彦命、神功皇后を配祀している。品陀別命など三柱は、明治末年に、同地にあった八幡神社を合祀したために、追加されたものである。 社殿は、山を背にして南東向きに建てられている。現在の社殿は、昭和10年(1935)に約3.5mの石壇を築いて本殿を引き上げ、その跡に幣拝殿を移伝して、釣殿を新設したものである。本殿は、正面三間・側面二間、入り母屋造り・妻入り(唐破風向拝付き)・銅板葺き(もとは桧皮葺き。昭和52年に改修したもの)である。 境内の末社には、荒神社、御崎神社、稲荷神社、守神社、忠魂社がある。稲荷神社へは、明治末年に、上加茂の各地に祭られていた金刀比羅宮、木山神社、護王神社、森神社、愛宕神社、武甕槌神社、砥園神社、御玉神社、素盞鳴神社、神神社など二十一社が合祀された。 社頭掲示板 |
鴨神社 弘仁2年、山城国愛宕郡加茂大明神を勧請したという。延喜の制、小社に列し、本国総社神明帳に従四位下鴨明神と載せている。虎倉城主伊賀氏が天文10年に社殿を造営し社領を献じた。池田光政公が社殿・末社を造営し、社領米を献進している。池田家代代の崇敬が篤かった。古くは鴨大明神、賀茂大明神また加茂大明神と称していたが、現在は鴨神社と号する。 岡山県神社庁 |
加茂大祭 県指定重要無形民俗文化財で、寄宮祭として950年の伝統を誇る県下三大祭りのひとつです。町内8箇所の神社から、樹齢500年を越えると言われる杉や桧の森に覆われた加茂市場の総社宮に神輿や太鼓の行列が集い、古式ゆかしい神事が繰り広げられます。この日は町内に笛や太鼓が鳴り響き、お祭りムード一色となります。 歴史・変遷 加茂大祭の歴史の始まりは、社伝によれば天喜年中(1053〜58)と記録されています。今から数えて950年余り前です。当時、加茂郷と呼ばれていた旧加茂川町一帯に悪疫が流行し、その悪疫が神威によってはらい除かれたので、それに感謝するために付近の12社が総社に参集したといわれています。 その後、戦国時代に入り、前後200年の間、加茂大祭は中断されましたが、江戸時代中期より再興され、以後毎年行われてきました。そして、昭和34年(1959)に岡山県指定重要無形民俗文化財に指定されました。この加茂大祭保存のために「備前加茂大祭芸能保存会」も結成され、今日も盛大に神事が行われています。 祭りの進み方 祭の形式は寄宮祭という珍しい形式です。町内の鴨神社・化気神社・松尾神社・日吉神社・素盞鳴神社・八幡宮・天計神社・三所神社の八社が各々の鎮座地から総社宮へ行列を整えて集合し、総社宮を交えた九社で大祭が行われます。伝統的な祭だけに厳格な規則があり、その規則が守られてはじめて祭も順調に進みます。 祭りの順序 各社出発 → 移動 → 総社到着 → お入り → お遊び → 御神幸 吉備中央町HP |