出雲御崎宮を勧請した神社。 寛延期に大守氏を中心とした式内社の再興運動があり、その過程で尾治針名眞若比女神社が北方村四日市の御崎宮の社地に社をつくつて祀られるようになつた。寛延4年(1751)であつたと考えられる。 御崎宮から現在の鎭座地へ移されたのは明治8年だと云う。 |
御崎宮 郷社 御崎宮 祭神 大国主神 猿田彦神 須佐之男神 境内に天神社、稲荷神社五社其他を祀る 由来 出雲国日之御崎神社を勧請 上道郡中島村(今の岡山市中島)に鎮座のところ天正年間宇喜多秀家岡山城築城に当り城下に向って川筋を変えた為現地に祀ったものである。 祭禮 1月1日、2日、夏祭 7月19日、秋祭 10月9日、10日 七五三 11月15日 月次祭 毎月第三日曜午前10時より 社頭掲示板 |
御崎宮 当社は吉備温故によると出雲国日御碕神社から勧請したという。創立年代は明らかではないが、御野の産土神として古くから崇敬せられ、明治6年郷社に列した。 元は上道郡竹田地内(現在の岡山市中島)に鎮座していたが、天正年間宇喜多秀家が岡山城城下に引水するため、社地が川敷きになるので現在地に御遷宮された。社殿は嘉永10年に再建した権現造りで、随神門は天保年間の再建である。 岡山県神社庁 |