天計神社
あまはかりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】天計神社 備前国 御野郡鎮座

   【現社名】天計神社
   【住所】岡山県岡山市北区中井町1-5
       北緯34度41分2秒、東経133度55分51秒
   【祭神】手置帆負命 彦狹知命
   【例祭】10月 第3土・日曜日 秋祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       早川秀秋の時代(1600〜02)に現在地へ移
       明治初年に改称
       昭和20年戦災で焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】もと北方村の幸田畑と云うところに鎮座
        早川秀秋の時代(1600〜02)に現在地へ移

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流造瓦葺
       幣殿・拝殿

   【境内社】

もとは御野郡北方村の幸田畑にあったが、小早川秀秋の時代(1600〜02)に現在地へ移されたと伝えられている。江戸時代の記録によると、ここに神宮寺という寺があって、その鎮守に八幡宮の社があったが、寺がいつのころか廃絶して社だけが残った。
推定5世紀前半期ごろ築造の、竪穴式前方後円墳・神宮寺山古墳後円部に参道の石段を墳頂部に社殿をそれぞれ造営している。
祭神は建築の神だが、天計は「あまはかり」で、天量の意。地元では「はかりの神様」とも呼ばれている。


天計神社

この神社は、国鉄・津山線法界院駅から東南東へ約400m、岡山市立御野小学校々地の東北すぐのところにある国指定の史跡・神宮寺山古墳の後円部の頂上の、岡山市中井町1丁目5番35号にある。もと村社。地元には、“はかりの神様”だといういい伝えがある。
この神社は、もとは御野郡北方村の幸田畑にあったが、小早川秀秋の時代(1600〜02)に現在地へ移されたと伝えられている。江戸時代の記録によると、ここに神宮寺という寺があって、その鎮守に八幡宮の社があったが、寺がいつのころか廃絶して社だけが残ったので、それが俗に神宮寺と呼ばれたとするものや、八幡宮とだけ記されたりしながらも、「此の祠は延喜式神名帳に天計神社と云う是也」として、式内社の天計神社とみられていたことを伺わせている。現布の社名には、明治初年に改号した。
祭神は、手置帆負命と彦狭知命の二柱とされている。現在の社殿は、昭和20年(1945)の空襲で焼失した後の仮殿で、南面しており、本殿は、一間社、流れ造り・本瓦葺きの、こじんまりしたものである。
この神社がある神宮寺山古墳は、五世紀前半期のものと考えられている前方後円墳で、全長が約150m、後円部の直径が約70m、高さ約13mのかなり大きいものである。現在の拝殿がある真下辺りに、竪穴式と推定されている石室があって、天井石が露出しているという。



天計神社

国指定 史跡神宮寺山古墳
この神宮寺山古墳は全長150m、幅80m、高さ15mに及ぶ巨大な前方後円墳で千数百年前に築造されたものである。現在では前方部は墓地となり後円部頂上には天計神社が建てられているが比較的原形を保っている。また後円部頂上には竪穴式石室の天井石の一部が露出し古墳の周囲には濠をめぐらした跡が残っている。岡山県にはこの種の古墳はかなり見受けられるが岡山市のような沖積平野に築造されているものはきわめて少なくこの頃にはすでに岡山平野は強大な権力者のもとに文化が栄えていたことを証明している。昭和34年5月13日国から史跡の指定を受けた。

社頭掲示板



天計神社

国指定史跡 神宮寺山古墳
神宮寺山古墳は、三段築成の大型前方後円墳である。規模は、全長150m、後円部径約70m、高さ約13mを計測する。この古墳は沖積平野に築造されており、大部分が盛土で築成されている。
後円部には、現在天計神社が祀られているが、竪穴式石室の所在を予測させる天井石が露出している。また、副室の小型竪穴式石室が知られており、そこから多量の鉄製農具(鍬・鎌等)・工具(鋸・やりがんな・のみ等)や武器(刀・剣等)等が出土した。
前方部からもかって、古刀・甲冑・槍・鉾の残片が出土したと伝えられ、そこに埋葬施設があった可能性もある。
墳丘の各所に円礫葺石が見られ、また埴輪の破片が採集されている。古墳築成時期は四世紀末から五世紀初頭と推定されている。
昭和34年5月13日に国の史跡指定を受けた。
平成5年3月
岡山市教育委員会

社頭掲示板



天計神社

延喜式に天計神社、本国総社神名帳に天計神社、山本氏本に従二位下天計明神と記載してある式内社である。備陽国誌本郡廃寺の部に、妙法山神宮寺北方村とある。即ち天計神社の別当である。彼の小庵に天計神社の本地仏として、左手に巻物一巻、右手に弓を挾んだ仏像が一躯ある。銘に天計八幡大菩薩、備前国御野郡北方村と記してある。右像の弓を持っているのは上代の丈量器を誤ったのであろう。それは此の神が手置帆負命、彦狭知命の二神であるから、必ず丈量器を携え給うのは右像を模したものであろう。

岡山県神社庁



神宮寺山古墳

神宮寺山古墳は、全長150m、後円部径約70m、高さ約13mの大型の前方後円墳である。
旭川が運ぶ土砂によってできた平野にあり、墳丘は大部分が盛土によって築かれている。 後円部三段、前方部二段の段築で、葺石が施され、埴輪が立てられていた。
中心埋葬は天計神社が建つ後円部の頂部にある。 竪穴式石室のものとみられる葺石が観察されるほか、さらに別の埋葬施設があった可能性も指摘されている。 随伴して埋葬品を入れるための小石室があり、鍬、鍬などの鉄製農具、斧、鋸、ヤリガンナ、ノミ、などの工具、刀、剣などの武器といった鉄製品が出土している。
西暦4世紀後半から5世紀初めに築かれた吉備地方を代表する古墳で、旭川下流の稔り豊かな平野を統治した大首長の墓と考えられる。
平成22年3月 岡山市教育委員会

社頭掲示板



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