天神社
てんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】天神社 備前国 御野郡鎮座

   【現社名】天神社
   【住所】岡山県岡山市北区三野本町408
       北緯34度41分47秒、東経133度56分16秒
   【祭神】天之御中主命 少彦名命
   【例祭】4月 10日 10月 10日
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       江戸時代には廃祠となつていた
       明治2年天神社と改称
       明治40年9月神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】元の鎮座地不詳
        移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「明見宮」と称していた
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       幣殿・釣殿・拝殿・随神門

   【境内社】

式内社天神社はいつの頃からか廃祠となつていた。
明治2年になつて式内社天神社は御野郡御野村の明現宮に比定された。
社伝によると、往古は天津神社、中古、明見宮と称し、明治2年に天神社に戻されたという。
旧所在地は諸説あり。
日本最大の前方後円墳(墳丘長600m超)の可能性があるとされた古墳後円部(妙見山)の山頂にある(この古墳は正式に認められているものではなく、前方後円墳にそっくりな形をした独立丘陵。


天神社

この神社は、国鉄・津山線法界院駅から北来へ約1Km、三町公園がある御町山から峰続きに北々西へ約300mの明見山山頂の、岡山市三町本町1番22号にある。もと村社。
この神社は、江戸時代には明見宮と称されていたが、明治2年(1869)に現社名の天神社に改号された。南側参道の石鳥居の石額は、現右でも、明見宮と彫られたままである。
式内社の天神杜は、いつのころからか廃祠となっていたようであるが、その所在地については諸説があって、江戸時代中期ごろからは、現在の岡山市三門にあったとする説や、現在の岡山市津島福居の天神社がそれであるとする説がある。また、岡山市天神町の現在岡山県総合文化センターがある台地を天神山といい、同センター敷地内北西隅にある巨石が天神岩と呼ばれるのは、ここにかつて式内社の天神社があったからであるとする説もある。この神社は、貞享4年(1687)に近くの現・岡山神社へ移され、いまもそこに末社として祭られている。
祭神は、少彦名命(大国主命の出雲の国造りを補佐した人)と、天之御中主神(天地が初めてできたとき、高天原に最初に現れたとされる神)の二柱とされている。
社殿は、もとは350段ばかりあったと思われる石段を上がった山頂に南面しており、本殿は、一間社、流れ造り・銅板葺き(もとは桧皮葺き)で、花崗岩製の玉垣が巡らされている。
境内の末社には、稲荷神社、生所荒神社、半田神社、三町神社、天満宮など七社がある。



天神社

延喜式神名帳に天神社、本国総社神名帳に天津神社と記してある備前国式内外古社128社の一社である。明治40年9月27日に神饌幣帛料供進神社に指定せられた。

岡山県神社庁



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