式内社天神社はいつの頃からか廃祠となつていた。 明治2年になつて式内社天神社は御野郡御野村の明現宮に比定された。 社伝によると、往古は天津神社、中古、明見宮と称し、明治2年に天神社に戻されたという。 旧所在地は諸説あり。 日本最大の前方後円墳(墳丘長600m超)の可能性があるとされた古墳後円部(妙見山)の山頂にある(この古墳は正式に認められているものではなく、前方後円墳にそっくりな形をした独立丘陵。 |
天神社 この神社は、国鉄・津山線法界院駅から北来へ約1Km、三町公園がある御町山から峰続きに北々西へ約300mの明見山山頂の、岡山市三町本町1番22号にある。もと村社。 この神社は、江戸時代には明見宮と称されていたが、明治2年(1869)に現社名の天神社に改号された。南側参道の石鳥居の石額は、現右でも、明見宮と彫られたままである。 式内社の天神杜は、いつのころからか廃祠となっていたようであるが、その所在地については諸説があって、江戸時代中期ごろからは、現在の岡山市三門にあったとする説や、現在の岡山市津島福居の天神社がそれであるとする説がある。また、岡山市天神町の現在岡山県総合文化センターがある台地を天神山といい、同センター敷地内北西隅にある巨石が天神岩と呼ばれるのは、ここにかつて式内社の天神社があったからであるとする説もある。この神社は、貞享4年(1687)に近くの現・岡山神社へ移され、いまもそこに末社として祭られている。 祭神は、少彦名命(大国主命の出雲の国造りを補佐した人)と、天之御中主神(天地が初めてできたとき、高天原に最初に現れたとされる神)の二柱とされている。 社殿は、もとは350段ばかりあったと思われる石段を上がった山頂に南面しており、本殿は、一間社、流れ造り・銅板葺き(もとは桧皮葺き)で、花崗岩製の玉垣が巡らされている。 境内の末社には、稲荷神社、生所荒神社、半田神社、三町神社、天満宮など七社がある。 |
天神社 延喜式神名帳に天神社、本国総社神名帳に天津神社と記してある備前国式内外古社128社の一社である。明治40年9月27日に神饌幣帛料供進神社に指定せられた。 岡山県神社庁 |