清和天皇貞観年中の勧請と伝えられ、備前国神名帳に「下宮明神」とある。 一説には尾張国熱田宮から勧請されたと伝えられ、また、尾針神社は岡山城下石関町の酒折宮(現岡山神社)の地に鎭座していたという説がある。 岡山神社を、式内社の尾治針名真若比売神社だとする説もある。 |
由緒 当社はその名の如く岡山市の総鎮守で延命長寿、商売繁盛、社運隆昌、交通安全、縁結びの神として古来霊験あらたかであります。御祭神は大吉備津彦命、倭迹々日百襲姫命(吉備津彦命の姉君)妹姫命、日本武尊、大山咋命、倉稲魂命、武安霊命(池田光政)です。御由緒は清和天皇貞観年中(西紀860年)創建にして、昔岡山(今の岡山城内)の地に鎮座七百余年を経て、天正元年、宇喜多直家が岡山城を築くに当り、当社を今の社地に遷し岡山城の守護神として社領を寄附す。宇喜多秀家本殿を造営同秀秋拝殿以下を造営す。旧藩主池田氏の時は城内の鎮守として特別に崇敬され社領として三百余石を寄附し代々領主の造営する習いであった。昭和十六年、本殿お屋根替、社殿改修、社務所を新築、昭和20年、戦災にて随神門並末社数社残す外焼失したが、終戦後昭和33年、本殿(鉄筋コンクリート造り)を造営、参集所も完備し次に、昭和50年拝殿幣殿(鉄筋コンクリート造り)を造営、金殿玉楼輝くような近代的社殿が完成しました。神前結婚式はこの社殿で行います。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
岡山神社 岡山市指定重要文化財 岡山神社随神門 平成16年2月24日指定 岡山神社は、宇喜多(うきた)氏以来岡山城の守護神として歴代の城主の信仰の厚かった神社で「酒折宮(さかおりぐう)」と呼ばれていました。池田家文庫に残る『酒折宮社記(さかおりぐうしゃき)』によると、現在の岡山城本丸の地にあったものを、宇喜多氏の岡山城築城に伴って現在の地に移されたとされます。随神門(ずいじんもん)は、池田継政(つぐまさ)によって延享(えんきょう)2年(1745)に造立された、三問一戸の八脚門で、岡山藩直営の普請になる18世紀中頃の基準的建築物です。岡山城下で岡山空襲でも焼け残った数少ない江戸時代の建物です。 平成17年1月31日 岡山市教育委員会 社頭掲示板 |
岡山神社 当社はその社名の如く備前岡山の総鎮守で延命長寿、商売繁昌、学業成就、縁結びの神として古来よりまことに霊験あらたかです。 御祭神 大吉備津彦命、倭迹々日百襲姫命、妹姫命、 日本武尊、大山咋命(大国主命)、倉稲魂命(稲荷大神)、 菅原道真公、武安霊命(池田光政) 創建 清和天皇貞観年中(西紀860年) 重要祭事 正月詣り(1日、15日)古来より市民に親しまれ早朝より参拝者多く中でも正月詣りは数万余の参拝者が境内を埋める 4月15日春祭(祈年祭) 8月初旬夏祭(わくぐり祭) 10月第二土曜日曜日秋季大祭氏子数十ケ町よりだんじりを繰り出し夜は社頭が祭灯篭の海となる 11月15日を中心に二週間位 七五三の祝典岡山市は勿論周辺より晴着飾った幼児が父母に付添はれて参拝しその数は数千組である。 社頭掲示板 |
岡山神社 玉垣之碑 此之岡山神社波志毛此一宮吉備津彦神社之下宮迩為弖国司之重久厚久敬奉後浮田直家此処迩城乎造近守神止為弖御社厳志久仕奉御刀代田乎依寄奉池田朝臣又此城邇入例之随仕奉来都礼婆御社之美麗支事又双者無久瑞垣玉垣伊賀志久仕奉礼利故其玉垣初度者木以造在之加婆雨降風吹随年経而破久和阿麻多度仕奉奴是以今氏子人等心乎起志力乎合弖石以弖造改都如此而婆雨降風吹止毛常石爾堅石爾動久事无久玖都留事无久此大宮之御栄止共尓天地月日之共窮无良牟阿那米傳多之此業也阿那伊曽志之氏子之諸人也明治之四十年余四年之六月如此言挙為留波素此御社迩代代仕奉志岡直廬也 栢翁難波正衛題額并書 社頭石碑 |
岡山神社 当社は清和天皇貞観年中(860)の創建で、岡山という現在の岡山城本丸の地に鎮座しており、「坂下(さかおり)の社」と呼ばれていた。 永禄年中(1558−1570)に「岡山大明神」と改め、天正元年(1573)岡山に入城した宇喜多直家が岡山城を築くにあたり、現在の社地に遷し岡山城の守護神として社領(神社の土地)を寄附。 直家の子、秀家が本殿を、その後の城主小早川秀秋が拝殿以下を造営した。 池田家が城主の時は城内鎮守として特別に崇敬され、社領として三百余石を寄附。 万治年中(1658−1661)以後は「酒折宮(さかおりぐう)」と号していたが、明治15年、社号を「岡山神社」とした。 昭和20年6月29日の岡山大空襲にて随神門ほか末社数社を残すほか焼失。 昭和33年本殿を造営。 昭和50年拝殿幣殿を造営。 昭和63年社務所、参集殿を新築。 旧社挌は県社。 公式HP |
岡山神社 当社はその名の如く岡山市の総鎮守で延命長寿、商売繁盛、社運隆昌、交通安全、縁結びの神として古来から霊験あらたかである。 清和天皇貞観年中(860)創建にして、昔岡山(今の岡山城内)の地に鎮座七百余年を経て、天正元年、宇喜多直家が岡山城を築くに当り、当社を今の社地に遷し岡山城の守護神として社領を寄附す。宇喜多秀家が、本殿を造営同秀秋拝殿以下を造営す。旧藩主池田氏の時は城内の鎮守として特別に崇敬され社領として300余石を寄附し代々領主の造営する習いであった。昭和16年、本殿お屋根替、社殿改修、社務所を新築、昭和20年、戦災にて随神門並末社数社残す外焼失したが、終戦後昭和33年、本殿(鉄筋コンクリート造り)を造営、参集所も完備し次に、昭和50年拝殿幣殿(鉄筋コンクリート造り)を造営、金殿玉楼輝くような近代的社殿が完成した。神前結婚式は、この社殿で行う。 平成元年社務所、参集所を新築した。 御祭神は大吉備津彦命、倭迹々日百襲姫命(吉備津彦命の姉君)妹姫命、日本武尊、大山咋命、倉稲魂命、武安霊命(池田光政)である。 岡山県神社庁 |