もとは現社地の東方500mの古美山にあったが、建久年中(1190〜99)に現在地へ移されたという。 祭神の変遷がかなりあったが、もともとは和気氏の氏神として建立されたことと思われる。 |
由緒 神根神社 延喜式(紀元1561年約今から1000年位前)神名帳、神階従2位、旧社格、郷社(郡内では一社だけ) ご祭神、木花開耶姫、相殿、天照皇大神 境内末社、天神社(菅原道真) 縁結成就を始め、除災招福、延命長寿、五穀豊穣、旅行安全 諸願成就、学問の神、 病気平癒の神をおまつりしてあります。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
神根神社 この神社は、国鉄山陽本線吉永駅から県道・吉永〜南光線を八塔寺川沿いに約4Km北上した、和気郡吉永町神根本1147番地にある。もと郷社。備前国の三宮とされている。 社伝によると、この神社は、もとは現社地の東方500mの古美山にあったが、建久年中(1190〜99)に現在地へ移されたという。その後、寛文10年(1670)に岡山藩三代藩主・池田光政が、和気郡奉行・渡辺助左衛門に命じて社殿を改築したとされている。 祭神は、現在は木花開耶姫命(多紀理姫命=三穂津姫命の別名。事代主尊の生母)となっているが、種々異説があり、近世の諸書には神大根王であるとか、鐸石別命と記したものもある。 このほか、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、天照大神、豊受大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、素盞鳴尊・饒速日尊、大己貴尊、大山砥尊が祭られている。仲哀天皇以下は、明治43年(1910)に門出の八幡神社、山津田の今伊勢神社、樫村の熊町神社、南谷の素盞鳴神社、和意谷の大山祇神社を合祀したため、追加されたものである。 社殿は、山を背にしたやや小高い場所に、東向きに建てられており、本殿は、一間社、流れ造り・桧皮葺きである。昭和59年に、周囲の山の樹木が伐採されて、荘厳さが失われた。 境内の北隅には、末杜の天神社(祭神・菅原神他十一柱。屋根は昭和59年に銅板で葺き替え)と、昭和25年から祭られている御霊社がある。 社頭掲示板 |
神根神社 当社は延喜式神名帳(967)に神階従2位とある。 旧社格、郷社(郡内では1社だけ)祭神は木花開耶姫命、相殿=天照皇大神、境内末社=天神社(菅原道真)縁結成就を始め、除災招福、延命長寿、五穀豊穣、旅行安全、諸願成就、学問、 病気平癒に霊験があらたかである。 岡山県神社庁 |
神根神社の由緒 神根神社は延喜式内社に備前の国の三ノ宮とされ、一ノ宮は吉備津彦神社(岡山市一宮)二ノ宮は安仁神社(岡山市西大寺)に次ぐ由緒ある神社です。 創建は約千三百年前、開花天皇子神王根王によるとあるが、詳細は不明。 寛文10年(1671年)10月、備前国主池田光政公により神殿が再建され、当時、初代神主国貞老葉(和気清麻呂公家臣)から15代後、北川修理進藤原國貞により奉遷宮が斎行され、光政公から寛文の下文と称し神儒佛道に関する判木を寄附せられ、今尚現存する。 仁安(1166年)3月、国司より扁額奉納される。 明治5年郷社となる。昭和11年10月千二百年祭が斎行される。 主祭神 木花咲耶姫命 他相殿神12柱 境内末社 天神社 菅原道貞公 家内安全・良縁成就・安産・厄除・病魔退散(なで石神でき物癌封じ)諸願達成等々、ご利益のある神々が祀られています。 ※それ由が、この地に何百年もの間大きな災いがないのも、此れらの神根神社の神々がお守りくださり、今後も、子々孫々に至るまで氏子崇敬者の平和を維持して下さることと思います。 社頭掲示板 |