この地は大嘗祭の齋器物(ゆかもの)の製作を行っていたため、早くから官社とされていた。 もとは現社地の南にそびえる甲山(こうやま164.0m)の山頂に鎮座していたが、中世今の地へ遷座という。 |
片山日子神社 長船町指定重要文化財(有形民俗文化財) 片山日子神社奉納の算額 明治6(1873)年10月、笠加村箕輪(現在の邑久町)の入江信順翁がひらいた算学塾「萬春亭」の門下生十六名が各一題の幾何の問いについて解答し、算額絵馬として奉納したものである。一枚の算額絵馬に16題も出ているものは珍しく、当時の和算の術を知るうえで貴重な資料である。 また、額縁の龍の彫刻は玉津村尻海(現在の邑久町)の彫刻師 井上幽雪斉・井上幸治尺逸らの作であり、立体的な彫刻は秀逸である。 縦180cm、横182cm 額縁の材質…欅、板材…杉 社頭掲示板 |
片山日子神社 長船町指定重要文化財 「片山日子神社だんじり」 明治15年5月15日、備前国児島郡北浦の大工 片山吉衛忠久により製作される。 明治15年、春祭りの5月19日に巡行したが、翌年から秋祭りに巡行される。現在は、秋祭りの十月十日の夜に境内を巡行している。 随所に施された彫刻は、秀逸のものといわれる。 総欅造り、長さ3.4m、幅2m、高さ3.4m 社頭掲示板 |
片山日子神社 この神社は、国鉄・赤穂線長船駅から束へ約一キロm、長船町役場の束南来約500mのところの、邑久郡長船町土師797番地にある。もと郷社。 この神社は、もとは現在地の南にそびえる甲山(標高164m。神山とも書く)の山頂にあったが、天喜3年(1055)に現在地へ移転したといわれる。その旧社地は、「大吉備津日子命、片山の仮宮と定め給い、温羅降伏の謀慮を国人・楽々森彦と冨玉臣に問い給い、茅葺宮に発行し給うまで坐しましし御旧跡」と伝えられ、吉備津神社と深いかかわりがあったことを示している。『備前国神名帳』の諸本には、正三位片山日子大明神あるいは従二位賀多山大明神などと記されている。 祭神は、古い資料では大山砥尊あるいは天日方奇日方命とする説もあるが、現在では片山日子神(片山に坐す吉備津日子命の略称)とされている。 社殿は、甲山の北すそを東から西へ流れる千田川の右岸に、南向きに建てられており、本殿は、正面三間・側面二間、千烏破風付き・入り母屋造り(唐破風向拝付き)・桧皮葺きで、備中地方に多くみられる建築様式のものである。 境内の末社には、本殿の東側に稲荷神社(祭神・倉稲魂神)、西側に木野山神社(祭神・木町山神)がある。境内の西半分は、現在は児童遊園地になっている。 社頭掲示板 |
片山日子神社 当社は延喜式神名帳に伊勢国鈴鹿郡片山神社と同神とある。 備前国神名帳には従2位片山日子神社とある。往古現在の社地前方の神山に鎮座していたのを、後冷泉天皇、天喜3年(1055)乙未8月、勅により現在の地に遷座したと伝えられている。 明治6年郷社に列格。明治40年1月、神饌幣帛料供進神社に指定された。 岡山県神社庁 |