多賀神社の本殿に向かって左手に鎮座する。 寛文6年(1666)当地方にあった幾つかの祠を集めて、多賀神社境内に寄宮を建てて祀った。 福里にあった当社美和神社も多賀神社境内に遷。 美和神社は寛延2年(1749)藩の許可を得て長船町福里に再興した。 江戸中期、式内社の再興が進められた時、磯上村の名主安右衛門が、多賀神社境内に碑を建て「古の美和神社の古跡」とした。 |
多賀神社 当社は創立年月日不詳であるが、柏山の住人赤枝某の家系によれば、嘉応(1169年)以前の創立である事が判明している。社記に「赤枝織部藤原為房嘉応元年(1169年)事故ありて大和三輪の里より備前国邑久郡磯上村之内柏山に移り住む。為房大三輪明神の衛士なるを以て分神の御分体を多賀神の境内に勧請し、明徳元年(1390年)家族引連れ多賀神山の麓に住居す。」とある。 当社は寿命長久を守護する神社として近郡村より参拝する者が多かった。昭和20年6月26日、神饌幣帛料を受ける神社に指定される。 岡山県神社庁 |