美和神社
みわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】美和神社 備前国 邑久郡鎮座

   【現社名】美和神社
   【住所】岡山県瀬戸内市長船町福里341
       北緯34度42分1秒  東経134度7分7秒
   【祭神】大物主神
   【例祭】10月23日 秋季例大祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       寛文6年(1666)多賀神社境内に遷
       寛延2年(1749)許可を得て再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地不詳
        寛文6年(1666)多賀神社境内に遷
        寛延2年(1749)許可を得て再興

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・神門

   【境内社】

寛文6年(1666)当地方にあった幾つかの祠を集めて、多賀神社境内に寄宮を建てて祀った。
福里にあった当社美和神社も多賀神社境内に遷。
寛延2年(1749)藩の許可を得て再興、隣村の服部村宇佐八幡宮から神霊を奉遷という。
社伝によれば、奈良大神神社から勧請されたと伝えられている。また、東須恵の美和神社を分祀したとも伝えられている。


美和神社

「延享3年(1746年)寅12月18日延喜式内美和神社再興上願、延享4年(1747年)3月御聞届、寛延2年(1749年)社殿成神霊ヲ奉遷ス」
口碑によると、延享3年、美和神社再興を願いあげたところ、藩主が、式内社であるので重大なことゆえ、公儀へお伺いになった。同4年3月25日富岡名主権平、岡山からの帰途、亥の刻頃、宇佐八幡宮正面二町ばかり前の道で遙拝していたところ、西方から火の玉が飛来して、宇佐八幡宮社殿の上に止まり、しばらくしてそのまま消え失せた。翌26日岡山から飛脚が到来し、「昨四つ頃、江戸から飛脚が到着、美和神社再輿を御聞き届けくださった。前夜の火の玉はまさに美和神社の神霊である。」と、そこで服部宇佐八幡宮の社殿で、神体を御装束し、福里へ奉遷、明治維新まで延喜式美和神社として崇拝した。後、明細帳編成の際式外と改められる。

岡山県神社庁



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