広高神社
ひろたかじんじゃ
若宮八幡宮 境内社
所在地 社名















   【延喜式神名帳】美和神社 備前国 邑久郡鎮座

   【現社名】広高神社
   【住所】岡山県瀬戸内市邑久町尻海3038
       北緯34度39分6秒  東経134度9分36秒
   【祭神】
   【例祭】(若宮八幡宮)10月15-16日 例大祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は才崎の巨岩の上に鎮座していた
        その後若宮八幡宮の境内社となる

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「才崎宮」と称していた
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

境内に巨岩があり、現在は「才崎」という地名であるが、元は神坂(みわさか)であった。
神坂(才崎)には才崎宮が祭られていたが、現在は若宮八幡宮の境内に広高神社として祭られている。
広高神社は本殿背後の末社殿の右から4社目に鎮座している。式内社である東須恵の美和神社の本宮との説がある。
美和神社の秋の大祭前には、まず宮司と東須恵・西須恵の祷主、従者が尻海の海に入り潮ゴリをとって身を清め、続いて広高神社(元才崎宮)に幣帛を奉献し直会を行って帰る行事がある。


若宮八幡宮

市指定重要文化財
石灯篭 二基一対
平成16年11月1日指定
若宮八幡宮拝殿の前方左右に立つ総高3.6mの同形で二基一対の石燈籠である。
アーチ状の台脚の上に方形の中台と火袋部を重ね乗せるが、中台の上面四隅に勾欄形を刻みだし、その上の火袋は、更にその上にかむる笠と共に、一宇の宮殿建築の様をリアルに彫り上げている。ことに笠は軒下の垂木(たるき)や屋根面の瓦棒も忠実に刻み出した上、笠頂上には高く阿吽(あうん)の雲竜の造り物を立てている。
台脚の刻銘から江戸時代の安永7(1778)8月16日に、当地尻海在住の商人と思われる薩摩屋藤太夫が、中国風を背景に持った琉球・南薩様式の石燈籠を寄進したものであることが分かる。
瀬戸内市教育委員会

社頭掲示板



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