「社傳に、天孫瓊々杵尊日向國に降給ふ時、此神、三種神宝の御箱を持給ふ、故に此神を祭りし山を、御箱山と称す、また神体を箱に納め祭る故に、かく称するともいへり」『藝藩通志』。 「蓋し乳速日命の子孫此地に土着せるものゝ、祖神を祀れるものにして、布野村の知波夜比売神社とは父子又は夫婦の関係ある神なるべし」『双三郡誌』。 天孫瓊々杵尊が日向国に降臨する際、当社の御祭神である知波夜比古神は、三種の神宝の御箱を持ったという。 万治2年(1659年)、火災に遭い、社殿は焼失。小社を建てて祀っていたが、天明6年(1786年)、伊藤左馬之助重基が再興した。 |