当社鎮座地は加美山と称し、式内小社意加美神社(甲奴郡)の故地であるという。 正和年間(1312年-1316年)、丹下城主である斉藤美作守が相模国の鶴岡八幡宮を城内に勧請したのが起源。 正中2年(1325年)、往古より当地の亀山(上山)に鎮座する高おかみ神社に遷座した。この高おかみ神社が『延喜式』備後国 甲奴郡「意加美神社」に比定される式内社(小社)の論社。 |
由緒 社伝によると、当社鎮座地は加美山と称し、式内小社意加美神社(甲奴郡)の故地であるという。正和元年(1312)斎藤美作守は甲奴郡地頭織として鎌倉より下向し、植木城を築き城内に鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、正中2年(1325)意加美神社に遷座合祀し、さらに康安元年(北朝年号・1361)甲奴郡総社大宮八幡宮争論の際、同社の分霊をも合祀する。当地が幕府直轄地となり、享保2年(1717)上下陣屋が置かれるや、幕領甲奴、神石、安那三郡の鎮守と崇敬された。明治15年社殿の大造営をするも、明治27年火災のため灰燼に帰す。明治42年に社殿の再建をし、改めて宇佐八幡宮の分霊を祀る。昭和3年郷社に列す。なお『水野記』によると、長元信が社領四十八石七斗三升五合を寄せたが、天正19年(1591)林肥前守により没収されたという。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |