石川王は 壬申の乱に 大功あり、天武天皇より 吉備大宰に任ぜらる。 天皇の8年3月9日 病を得て吉備の国府の館に薨りぬ。 尊崇厚かり当し社に国司の神として合せ祀る。 |
国司神社 顕彰の辞 国司神社には 大国主神 国高依彦神石川王の三柱の神を斎き祀る 日本書紀に拠れば 石川王は 壬申の乱に 大功あり 天武天皇より 吉備大宰に任ぜらる 即ち 恵政を布き民を撫し農耕を起し 国人より慈父の如く仰がる 然るに 天皇の8年3月9日 病を得て 吉備の国府の館に薨りぬ 天武天皇 聞かして大く哀しみ 大恩を降し 初めて 諸王の二位を贈り給いき とあり 国人深く悲しみ 王が生前 大国主神国高依彦神の二神を祀り 尊崇厚かりし社に国司の神として合せ祀る と 王薨りてより 幾星霜移りて 当に千三百年氏子達相議り 御事蹟を偲び この里の安らけく生業に勤しみ 栄え行く世に感謝の誠を捧げ 茲に 王を顕彰し 以って 御神徳を永遠に伝えんがため此の碑を建つ 昭和55年3月吉日 芦田町郷土史研究会 撰文 社頭掲示板 |