この地方は、古の吉備の海部の居所であるから、その祖神の彦狭島命を祀つたものと思われる。 もと沼隈郡瀬戸村字長和の彦山の中腹にあつた。明治20年9月20日彦山より現在地の落部落の竈神社境内に移転した。 |
彦佐須岐神社 延喜式内社彦佐須岐神社 一、 御祭神 天彦火々出見命 (神武天皇の祖父に当られるお方と伝えられる。) 一、 御由緒 この神社は平安時代西暦901年(今からおよそ1097年前)延喜式内社として、沼隈郡長和村に建立し奉る。 元は彦山の中腹に社領拾貫、土地四丁五反とを有し鎮座されていたが、福島正則公の時、社領召し上げられ明治20年9月広島県知事の認可を得て現在地長和落(おさ)に移転した。 古くから水野公、阿部公の崇敬浅からず例祭には、藩主の参拝があり、御初穂金三百匹、太刀一腰、御具足五領、御長柄拾筋・陣太鼓・等約125点の献上品の寄進があった。 延喜式内社とは、延喜年間より国が官社として当時全国の主だった神社を国の神名帳に登載され国家から特別な待遇を受けていたもので、旧沼隈郡には、国幣小社沼名前神社(鞆)、今津の高諸神社、(お剣さん)と長和の彦佐須岐神社の三社で、古くから伝わる歴史と伝統のある神社である。 現代は氏子・子ども会等により神輿渡御が賑やかに行われている。 平成10年10月設置 社頭掲示板 |