第52代嵯峨天皇の御代の弘仁3年(812年)、この地を拓いた大船葦治麿が亀山の麓に奉斎したのが起源。 |
奴可神社 御祭神 天照大御神 ( あまてらすおおみかみ ) 国之常立命 ( くにのとこたちのみこと ) 月読命 ( つきよみのみこと ) 品陀和気命 ( ほんだわけのみこと、 応神天皇 ) 帯仲日小命 ( たらしなかつひこのみこと、 仲哀天皇 ) 息長帯比売命 ( おきながたらしひめのみこと、神功皇后 ) 大吉備津日子命 ( おおきびつひこのみこと ) 菅原道真命 ( すがわらのみちざねみこと ) 相殿 猿田昆古神 ( さるたひこのみこと ) 由緒 勧請年月日不詳 当社は平安時代の初期第52代嵯峨天皇の御代弘仁3年 ( 812 ) この地を拓いた大船葦治麿が亀山の麓にお祀りしおたのが始りで、往古は爾比都売神社と称し、延喜式記載の備後国奴可郡一座とある御社ともいう。 室町時代の大永五年 ( 1525 ) 宮高盛の臣鳥羽七良右衛門尉政家 ( 亀割城主 )社殿を改築し社号を妙見宮と称へ篤く信仰した。 古くは小奴可三坂小鳥原油木五ヶ村の大氏神として尊崇を受けた。 明治元年太政官達により奴可神社と改め、明治42年八幡神社・吉備津神社を、更に大正元年天満宮を合併し、大正3年現社殿を建立、大正4年4月25日妙見より西の宮の現在地に移し奉る。 社頭掲示板 |