奴可神社
ぬかじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】爾比都売神社 備後国 奴可郡鎮座

   【現社名】奴可神社
   【住所】広島県庄原市東城町小奴可1095
       北緯34度59分58秒,東経133度12分25秒
   【祭神】天照大神 國常立神 月讀命 爾比都賣神
       (配祀)猿田彦神 須佐之男命 (合祀)足仲彦尊 譽田別尊 息長足姫尊 大吉備都彦命 菅原道眞

   【例祭】
   【社格
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】荒神社・英霊社・粟島社

第52代嵯峨天皇の御代の弘仁3年(812年)、この地を拓いた大船葦治麿が亀山の麓に奉斎したのが起源。



奴可神社

御祭神 天照大御神     ( あまてらすおおみかみ )
     国之常立命     ( くにのとこたちのみこと )
     月読命        ( つきよみのみこと )
     品陀和気命     ( ほんだわけのみこと、     応神天皇 )
     帯仲日小命     ( たらしなかつひこのみこと、  仲哀天皇 )
     息長帯比売命    ( おきながたらしひめのみこと、神功皇后 )
     大吉備津日子命  ( おおきびつひこのみこと )
     菅原道真命     ( すがわらのみちざねみこと )
相殿  猿田昆古神     ( さるたひこのみこと )
由緒   勧請年月日不詳
当社は平安時代の初期第52代嵯峨天皇の御代弘仁3年 ( 812 ) この地を拓いた大船葦治麿が亀山の麓にお祀りしおたのが始りで、往古は爾比都売神社と称し、延喜式記載の備後国奴可郡一座とある御社ともいう。
室町時代の大永五年 ( 1525 ) 宮高盛の臣鳥羽七良右衛門尉政家 ( 亀割城主 )社殿を改築し社号を妙見宮と称へ篤く信仰した。 古くは小奴可三坂小鳥原油木五ヶ村の大氏神として尊崇を受けた。
明治元年太政官達により奴可神社と改め、明治42年八幡神社・吉備津神社を、更に大正元年天満宮を合併し、大正3年現社殿を建立、大正4年4月25日妙見より西の宮の現在地に移し奉る。

社頭掲示板




備後国INDEXへ        TOPページへ

学校一覧