爾比都売神社
にびつめじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】爾比都売神社 備後国 奴可郡鎮座

   【現社名】爾比都売神社
   【住所】広島県庄原市西城町西城131
       北緯34度55分58秒、東経133度7分1秒
   【祭神】埴山毘売神・金山毘古神・大山祇神
   【例祭】4月20日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年代不詳
       文化年中(1804−17)現在地に遷
       安政5年(1859)3月20日造営
       明治6年2月郷社
       明治40年3月19日幣帛供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は久代のニヒツ山(権現山)に鎮座
        文化年中(1804−17)現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「高野権現」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・幣殿・社務所

   【境内社】

元は久代のニヒツ山(権現山)に鎮座していた。この山は古代の丹生山すなわち朱砂を産出する山であり、最初は爾比都売神の単独祭祀であつたが、後代、修験に護持されて丹生高野の両所明神と祭神が変化し、この地の朱砂の産出が絶えると、創祀以來の爾比都売が忘却されて、高野明神だけが高野権現の形でこゝに留まつていた、その高野明神もやがては修験の衰頽と運命を共にした。
文化年間(1804年-1817年)、権現山の西約30キロ、もとは厳島神社があったともされる現在地に再興された。


爾比都売神社

創立年代不詳。延喜式内社。『芸藩通志』に「今西城町にて此を祭る。延喜式内神名、備後國奴可郡1座、爾比都賣神社とあり。されば此社は当郡の名神なるに、世変によりて久しく廃し、其社地さへも知れずなりぬ。久代村高野権現山をにひつ山とも称するよしなれば、昔、此山に鎮座ありしやとおもはるれど、外に跡もあらず(中略)されば、郡内の祠官等も式内の社久しく廃せしを嘆き、初西城町厳島神社において仮に此神を勧請せしが、又別に社を建て郡の総社とあがめ、此を祭らん事を祠官等同じく議して藩府に請ひ、遂に新に地を卜して社を造営することとはなりぬ。』と、その廃絶、再興の事情を記している。安政5年(1858年)社殿再建。現在の社地は、往古の社地とされる高野権現山の西30キロに当り、奴可郡の中央に位置し、江戸期には砂鉄採取を多くの住民が生業となしており、西城はタタラ製鉄の中心地として栄えていたことにより、当地の守護神としてこの神社を再興したものと思われる。明治6年、郷社に列格、昭和11年に本殿再建、拝殿葺替。

社頭掲示板



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