17世紀末頃までの当社は、石畳にご神体の石を置くだけの素朴な社(祠)でしかなく、18世紀になって社殿が創建された。 志賀剛氏は、その著・式内社の研究の中で式内須佐能袁能神社に比定している。 |
王子神社 備後国風土記(紀元713年)によれば、須佐之男命が朝鮮より八王子と共に帰朝し、吾等を信仰すれば、その子孫を疫病から守ると申されたので、深津郡の人々はこの深津島山に王子神社を建て、以て広く当地方の人々の崇敬するところとなる。 式内社研究者、元京都学芸大学教授・文学博士・志都剛氏の説によると、延喜式神名帳(紀元927年)に載せられている備後国深津郡須佐能袁能神社は当社であると断定されている 昭和57年3月 深津神社総代 社頭掲示板 |