創立年代不詳、古来当地には、稲田姫命が鎮座していた。その後備後一宮(吉備津神社)より四座を勧請して合祀し、二宮五社大明神と称し備後二宮として人々の崇敬を受けていたが、慶応4年の神仏分離令により二宮神社と改称された。 |
二宮神社 二宮神社 祭神 吉備津彦命 大倭根子彦太瓊尊(孝霊天皇) 細比売命 吉備武彦命 稲田姫命 例祭 10月10日(旧例祭:10月19日) 由来 創立年代不詳、古来当地には、稲田姫命鎮座の処へ、備後一宮(吉備津神社)より四座を勧請して合祀し、二宮五社大明神と称し備後二宮として人々の崇敬を受けていたが、慶応4年の神仏分離令により二宮神社と改称された。 参道西側にある蓮華院(真言宗大覚寺派)は神宮寺であり五躯の仏形御神体は現在蓮華院に祀られている。 「水野記」によれば、古来社領七十貫、社職十六人、末社回廊、鐘楼等を有する大社であったという。神辺城主杉原盛重(1560年頃)の時、社領二十五貫に減ぜられ、更に毛利元康(毛利元就の第七子)の時に悉く没収された。 社殿は天文3年(1534)火災に遭い、永禄9年(1566)再建され杉原盛重等により右記の御神体五躯(栴檀製)が寄進されている。 天禄8年(1695)水野勝慶(水野勝成四世の孫)により社殿を再建された、明和元年(1764)石鳥居を建立、寛政4年(1792)随神門の再建が行われたが、文化4年(1804)再度火災に遭い文政13年(1830)現本殿を再建立した。昭和28年(1953)幣殿・拝殿の新築を行い、昭和54年本殿の屋根を銅板に葺替工事昭和63年本殿並びに境内の改修工事が行われた。 平成9年(1997)5月吉日建之 社頭掲示板 |