江戸中期には井戸鍾乳穴神社の所在地は不明であり、そのような社号をもつ神社は存在しなかつた。 明治初年岩山大明神が井戸鍾乳穴神社と改称され、式内社が復活した。 井戸鐘乳穴神社は江戸時代は「岩山大明神」と称していた 。 付近に「杓の手」と呼ばれる井戸と、「備中鐘乳穴」と呼ばれる鍾乳洞があることから、明治元年に現在の社名に改められた。 |
井戸鍾乳穴神社 この神社は、中国縦貰自動車道の北房インターチェンジから南東へ約9Km、国道313号線を経て、県道宮地-有漢線を南方に上がり切った峠付近の、上房郡北房町上水田字井殿8425番地にある。もと村社。 式内社の井戸鐘乳穴神社は、早くから廃絶していたようで、その所在地についても長いこと明らかでなかった。現在の神社は、付近にこの地域唯の水源である“杓の手”と呼ばれる井戸と、大規模な鐘乳洞(現在は備中鐘乳穴と呼ばれている)があることから、江戸侍代の中期になってこの地にあったとする説が多くなり、ついに明治初年に、この地の氏神であった岩山大明神を現在の社名に改号したものである。従って、この神社がただちに式内社の井戸鐘乳穴神社であるとする訳にはいかないが、この井殿の地にあった可能性は強いと思われる。 祭神は、大名持命(大国主命の別名)を主神として、その後合祀された誉田別命と素盞鳴命を配祀している。 杜殿は、南面して建てられており、本殿は、正面一間・側面二間、入り母屋造り妻入り(唐破風向拝付き)・桧皮葺きである。 境内の末社には、荒神社、海津見神杜、魔王神社、五王(牛頭天王)神社がある。 この神社の秋祭りは“頭屋祭”と呼ばれ、古い形式を残す、民俗的に貴重なものである。 社頭掲示板 |
井戸鍾乳穴神社 本神社は延喜式内社(備中十八社の一)として、古くから崇敬が篤く、氏子地域内に鐘乳穴という洞穴があり、広く世人の知るところである。当神社には古くから例祭に当屋祭りがあり、現在も古代の形式にのっとり、例祭当日一日だけ当屋と神社とに於いて行っている。 岡山県神社庁 |