最初に勧請した地は芳井町川相で「大社」(オオコソ)という地名が付けられている。やがて天神山に祀られ、応永年間に足次大明神として井原町倉掛の地に合祀され、現在に至っている。(後月郡誌) |
足次山神社 この神社は、井原市役所から東へ約1Km、小田川に架かる井原大橋西詰めすぐ北側の、井原市井原町倉掛二五番地にある。もと郷社。 近世には、一般に足次(または芦次)大明神と称されていたが、明治元年(1868)に現社号の足次山神社と改号した。地元では“足次山”と俗称している。 現在地の倉掛は、古くは倉垣と称しており、ここに“足次の神”が鎮座していたが、川上の天神山ヤシロ谷(現・後月郡芳井町天神山)にも足次の神が鎮座していたので、応永(1394〜1428)のころ現在地に移して合祀したという。 いっぽう、現・芳井町天神山宇野地にある足次神社は、もと同地の“一ツ山”の山項にあって、その旧跡を“アサ宮”と呼んでいたといい、この神社が式内社の足次山神社であるという 伝承は古くからあったようである。ヤシロ谷とアサ宮、それに野地の関連は明らかでない。 祭神は、主神が阿須波神、配祀が品陀和気命(応神天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、大帯日子淤斯呂和気命(景行天皇)、倉稲魂命、若建吉備津彦命とされている。 社殿は、東南束に面して建てられており、寛文6年(1666)建築の本殿は、正面三間・側面二間、入り母屋流れ造り(唐破風向拝付き)・本瓦葺きである。 境内はかなり広く、末社に春日神社、稲荷神社、荒神社など六社がある。 社頭掲示板 |
足次山神社 本神社は式内の旧社であって備中十八神の一つである。延喜式神名帳に「後月郡一座 足次山神社」とある。寛文6年11月再建。明治5年11月郷社に列された。明治40年1月、神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和21年1月10日、神祇院より県社昇格内規に徴して、由緒上県社に該当する旨と認められた。 岡山県神社庁 |