足次山神社
あすわやまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】足次山神社 備中国 後月郡鎮座

   【現社名】足次山神社
   【住所】岡山県井原市井原町25
       北緯34度35分55秒、東経133度28分8秒
   【祭神】阿須波神
       当社では、阿須波大明神が男神で、「足場の神」「旅立ちの神」。波比岐神は安須波大明神ともされ、女神で、「五穀豊穣の神」としている。

   【例祭】10月25 26日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】貞観元年(859)12月創立
       長和5年(1016)大嘗会和歌集に「くらかきの山」とある
       応永元年(1394)天神山足次山神社から倉垣(倉掛)へ遷座
       寛文6年(1666)11月造営
       明治元年旧号に復
       明治5年11月郷社
       明治40年1月27日神饌幣帛供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初は芳井町川相に鎮座。
        その後天神山足次山神社の地に鎮座
        応永年間(1394〜)天神山足次山神社から倉垣(倉掛)へ遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「足次大明神」と称していた
   【公式HP】参考 足次山神社
   【社殿】本殿権現造
       釣殿・舞殿・社務所

   【境内社】春日神社

最初に勧請した地は芳井町川相で「大社」(オオコソ)という地名が付けられている。やがて天神山に祀られ、応永年間に足次大明神として井原町倉掛の地に合祀され、現在に至っている。(後月郡誌)


足次山神社

この神社は、井原市役所から東へ約1Km、小田川に架かる井原大橋西詰めすぐ北側の、井原市井原町倉掛二五番地にある。もと郷社。
近世には、一般に足次(または芦次)大明神と称されていたが、明治元年(1868)に現社号の足次山神社と改号した。地元では“足次山”と俗称している。
現在地の倉掛は、古くは倉垣と称しており、ここに“足次の神”が鎮座していたが、川上の天神山ヤシロ谷(現・後月郡芳井町天神山)にも足次の神が鎮座していたので、応永(1394〜1428)のころ現在地に移して合祀したという。
いっぽう、現・芳井町天神山宇野地にある足次神社は、もと同地の“一ツ山”の山項にあって、その旧跡を“アサ宮”と呼んでいたといい、この神社が式内社の足次山神社であるという
伝承は古くからあったようである。ヤシロ谷とアサ宮、それに野地の関連は明らかでない。
祭神は、主神が阿須波神、配祀が品陀和気命(応神天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、大帯日子淤斯呂和気命(景行天皇)、倉稲魂命、若建吉備津彦命とされている。
社殿は、東南束に面して建てられており、寛文6年(1666)建築の本殿は、正面三間・側面二間、入り母屋流れ造り(唐破風向拝付き)・本瓦葺きである。
境内はかなり広く、末社に春日神社、稲荷神社、荒神社など六社がある。

社頭掲示板



足次山神社

本神社は式内の旧社であって備中十八神の一つである。延喜式神名帳に「後月郡一座 足次山神社」とある。寛文6年11月再建。明治5年11月郷社に列された。明治40年1月、神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和21年1月10日、神祇院より県社昇格内規に徴して、由緒上県社に該当する旨と認められた。

岡山県神社庁



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